2010年09月02日
みんな違って、みんないい!
昨日の記事で実母に、ひーまま/ひーままを見ていて
欲しかった旨を書いたけれど、その頃から子供なりに
「みんな違って、みんないいのに・・・」
と心の中で叫んでいたのです。
それを上手く言葉に出来るようになったのは、
高1の時に、アメリカに短期留学に行ってからのこと
日本とアメリカの文化・習慣の違いをまざまざと肌で感じ、
カルチャーショックを受けまくりましたぁ~
文化・習慣に違いはあるけれど、
決して優劣はないんだなぁ~という感覚
(時間があったら、この時のエピソードを詳しく書きますね)
この感覚は、以来、ひーままの軸の一つになっています。
一言で言うと、「違い好き」というやつです
そんなひーままが母となり、おひーさまと観ている
NHK教育テレビで好きな歌3つがあります。
それぞれ歌のタイトルは分からないけれど・・・
(毎日のように観ているくせしてね)
「おじゃる丸」の終わりの歌
あの雲は、かたつむり。
のろのろと空を歩く。
急いだってしょうがないんだ。
自分のペースで風のままに。
なぜ人は誰かと比較をしたり、競争するの?
なぜ人はみんなと同じゴールを目指しているの?
雲だっていろいろある。
人だっていろいろいる。
顔や形が違えば別の道。
生まれて生きて死んでゆく遠回り
「はなかっぱ」の始まりの歌 (途中を抜粋)
きみ、少し変わってるね~なんて
言われちゃっているチグハグなメッセージ。
どこが違うかなんて~
違わない人なんて、どこにもいないでしょ~
「にほんごであそぼう!」 (途中のフレーズだけ)
みんな違って、みんないい
みんな違って、みんないい
*よく、コニタン(元大関小錦)が歌っています。
彼の断髪式にまで行ったのに、ちゃんと聞いてないし
と言うより、このフレーズが大好きで、ひーままの耳には
ここだけが大音響で聞こえているのかもしれない・・・
教育テレビで、「違いがあっていいんだよ~」系の
メッセージを流してくれるのはとても嬉しいこと
これはダウン症児の母になってから思い始めたことではなく、
高校生の時も同じように思ったことでしょう。
一方で、本当の意味での「違い」が理解されていないからこそ、
NHK教育番組3本で毎日、「違いがあっていいんだよ~」系の
メッセージを流しているんだ!という見方できる。
でも、ひーままの子供時代に比べたら、すご~い進歩
なんせ、「みんな同じで、それが当然!」だったから・・・。
でも、でも、その一方で、我が家の学区では、
「交流クラス」というのが小学校の1学年に1つあって、
そのクラスのみが「特別支援学級」と交流するとか?
(1歳4カ月の娘の母親は幼稚園情報も集めておらず、
もしかしたらガセネタかもしれないけれど)
それって、なぜ~~~???
ひーままの小学校にも「ひまわり学級」という
今で言う「特別支援学級」があったけれど、
全てのクラスと交流してましたよ~
一緒に給食を食べたり、遊んだりして、
ひーまま的には、自分との「違い」が判って
充実した気持ちになったし、遊んでいて楽しかったけれど・・・
色々な子供同士が触れ合うことで知ることが出来る
「違い」をどうして一部の子供だけしか味わえないのかしら?
どうして平等の「チャンス」を摘み取ってしまうのかしら?
それって、おかしくないですか?
事情をご存じの方がいらしたら、コメントを頂けたら幸いです
おひーさまが小学校に上がる前には、
「交流クラス」という名称が消えていることを願うひーままでした
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