2011年04月26日
2009年3月 入院、そして告知!
この記事は回顧録です。
入院は嫌だったけれど、これもお腹の赤ちゃんのため
それに入院患者さんが唯一幸せなのは産科病棟
きっと、相部屋の方達も幸せ感一杯で、にぎやかに違いない
と自分を納得させて入院するも・・・
私の部屋の妊婦さん6人はことごとく静か
食事中も誰も口を開かない・・・
私のおやじギャグにも受けてもらえず・・・
(そこ突っ込むとこですよ~)
(ここは産科病棟ではなく、お通夜会場なのかしら?)
などと心の中で思うほど
でも、今考えれば、分娩で入院しているのではなく、何らかのリスクで
入院しているので、他の方は体がとてもしんどかったんだと思います
一方の私は、妊娠糖尿病による羊水過多で時々、お腹が張る程度で、
痛みがある訳でもないし、絶対安静という訳でもないので、超元気
悪阻で入院した時のようなしんどさも全くなく、暇で暇で仕方がない・・・
ただ、食後の血糖値は230mg/dl(80~140mg/dlが理想)と、かなり
高く、測定器が壊れてるんじゃない?と測定の度に思っていました
病棟の主治医で竹を割った性格のT先生からは、
「血糖値が高いね~!インスリンを打って行きましょう!」と
インスリンは、単位数で自己注射をするため、あまり単位数が多くても
低血糖になって、フラフラしてしまったりするので、私に合った単位数を
見つけ出すことが大変で!大変で!!
もちろん、毎回の食事前に太ももや腕に自己注射するのも大変
でも、ドMは針を刺しても痛くない場所を探すのが面白くなっていて
そうこうしているうちに、羊水を抜く日が来てしまい・・・
注射針をお腹に刺して、中の羊水を抜くという原始的?な方法で
採取した羊水の量は、なんと750ml
750mlも~!?と思ったけれど、2Lくらいを何回も抜く人もいるそうで
病棟主治医のT先生は私のお腹にエコーを充てる準備をしながら、
「意外と少なかったね・・・」
「赤ちゃんが羊水を飲み出したからかもしれないな~」
「もしかしたら、完全な閉鎖ではなく、一部は胃と繋がってるのかもね」
これを聞いて、ホ~
なんでも十二指腸閉鎖だと、羊水を上手く飲むことが出来なくて、
尿ばかりどんどんするので、羊水が増えてしまうそうなのです。
そして、T先生はエコーを充てながら、毎度お決まりのセリフを2つ
「あ~、相変わらず逆子だね・・・」
「あ~、またデカくなっている・・・」
妊娠糖尿病の人の赤ちゃんは栄養満点の羊水に浮いているので、
大きくなり続け、産み月には4000gを超えることもあるそうです。
私の腹の赤ちゃんも、未だ妊娠8カ月なのに、産み月の大きさ
大きさだけで言えば、いつ生まれても良いそうで・・・
T先生:「ど~かな~?」
私:「何がですか?」
T先生:「うん?いや、ダウン症の所見がないんだよね・・・」
私:「所見?」
T先生:「今、顔を見てるんだけど、口唇・口蓋裂はないし、う~ん、
耳の位置が若干、本当に若干低いくらいかな~?」
「なんと言っても、手足が長いんだなぁ~!ダウン症の子は
手足が短いケースが多いからね・・・あっ、でも長い子もいるよ!」
私:(T先生にしては歯切れが悪いな・・・)
この時は、十二指腸閉鎖という疾患のことが気になって仕方なく、
ダウン症でないにこしたことはないけれど、そのこと自体は
どうでも良くなっていました
それより、お通夜みたいな大部屋から脱走したい
いえいえ・・・
一日も早く退院したい旨を伝えました
インスリンの適正単位数も決まり、血糖値も安定し始め、
退院許可が出たのは、入院からちょうど1ヵ月目のこと
退院する3月27日の朝の内診の時、
T先生が妙にニコニコしながら「(羊水検査の)結果が出てますよ」と!
T先生に似合わない笑顔を見た時に確信しました
羊水検査は陽性でしょう・・・
カンファレンスルームに行くと、T先生とT看護師が既に座っていて・・・
T先生は「結果はこの通りです」と、用紙をさっと私の方に差し出しました。
私:(これでいいんだよ!都内の大学病院のO医師みたいにつべこべ言わず、
結果はこの通り!だからアンタ自身が考えろ!でいいんだよ!)
(T先生のこういう竹を割った性格が好きだわ~)と思いながら・・・
検査結果の染色体を1番から順に見て行き、13番と18番が
2本(正常)なのを確認した後、問題の21番を見ると・・・
あ~、やっぱり3本立っていました!!
間違いなく、21トリソミー(ダウン症)です!!!
そして、告知の3月27日からちょうど1カ月後の
2009年4月27日、
可愛いおひーさまが生まれて来るのでした
告知の時の心境や告知後の1ヵ月間の過し方などに
ついては、また詳しくアップしますね!
お楽しみに~
「今日の有り難い」
プレ幼稚園でおひーさまの2歳の誕生日祝いをして頂きました。
先生方、他のお母さん方、お友達に祝福して頂いたこと、
疾患が2つもあったのに、ここまで大きくなったことに、
有り難いという気持ちと感謝でいっぱいでウルウルでした。
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2011年04月25日
2009年2月中旬~下旬 妊娠糖尿病と十二指腸閉鎖
この記事は回顧録です。
妊娠中期は友人達とのランチ、マタニティヨガ、単発の仕事
などを楽しむ充実したマタニティライフを過ごしていました
少しだけ温かかった日、スーパーを出た時になぜだか何とも
言えない幸福感を感じることもありました。
日に日に大きくなっていくお腹を擦りながら、母になれることの
喜びも日に日に増していたからでしょう
一方で、妊娠7カ月の後半の内診では主治医のI先生から
想定外の一言が・・・
I先生:「羊水がかなり多いので、血糖値の数値を見たら、
やっぱり高かったんですよ」
「これまで糖尿病になったことはありますか?」
「ご家族に糖尿病の人はいますか?」
私:(糖尿病・・・?コレステロールは高いけど、糖尿病よね?)
「いっ、いいえ、全く・・・」
糖尿病といっても、私のケースは典型的な妊娠糖尿病
高齢妊娠の人に起こり易く、妊娠している間だけ血糖値が高くて、
出産後に元に戻るもの。何でも血糖を下げる役目をするインスリンの
分泌が妊娠中は低下するために起こるらしい・・・
しかし厄介なのが、血糖値が上がると羊水も増える傾向にあること
I先生もこれを疑ったらしい・・・
I先生:「このまま羊水が増え続けると破水の危険があります」
「すぐに精密検査を受けてもらって、問題がある場合には入院して
徹底した食事管理を受けてもらいます。それでも血糖値が下がらない
場合はインスリンの投与と羊水を抜く措置を取ります」
もう頭真っ白・・・
これまで仕事上、不規則な食生活をしてきたので、糖尿病にはなっても
仕方ないかな・・・と納得できるけれど、もう入院は嫌!嫌ったら嫌!!
悪阻で十分に食事が出来なかったのに、今度は食事制限?
みんなとランチに行きた~い!(←妊娠糖尿病と言われても未だ喰う?)
しかも、インスリンだ~?え~、羊水を抜くって?
こんなことが帰りのタクシーの中で頭を駆け巡り・・・
でも、糖尿病の精密検査の結果はギリギリセーフ
入院は免れました
ラッキー
と思ったのは束の間・・・
妊娠8カ月に入った頃のエコー検査の時の技師さんの様子がおかしい
「あ、赤ちゃんは、げっ、元気に動いてますよ・・・」
「結果は、せっ、先生の方から聞いて下さい」と何かオドオドしてる
(これは何かあるな・・・)
(心臓かな・・・?)と
頸部浮腫などから、お腹の赤ちゃんがダウン症の可能性は十分にある。
ダウン症の合併症=心臓疾患だったので、まず心臓を疑った訳で・・・
ところが、I先生からは、またまた想定外な一言が・・・
「(お腹の赤ちゃんは)十二指腸と胃がつながってないんだよ~」
「十二指腸閉鎖という消化器系の疾患で、ダウン症に多いんです」
この時、こう確信しました!
「この子は間違いなくダウン症だ」
妊娠前の夢、頸部浮腫、そして十二指腸閉鎖と来たら、そう確信するわなぁ~
こう確信した後はダウン症のことはどうでもよくなっていて、
十二指腸閉鎖という疾患が心配で心配で・・・
(十二指腸と胃が繋がってないなんて・・・)
(おっぱいを飲んでも吐いちゃうの・・・?)
(もしかして、生まれてすぐに死んじゃうの?)
またまた頭真っ白・・・
というより超不安・・・
I先生:「ただの十二指腸閉鎖なら、十二指腸と胃と縫い合わせるだけで済むけれど、
問題はダウン症の場合は他の合併症も疑われるので厄介なんだよ・・・」
私:「それって、赤ちゃんが手術を受けるということですか?」
I先生:「恐らく生まれてすぐの手術になるでしょう・・・」
私:「赤ちゃんが可哀想・・・」と涙がこぼれて来ました
お腹の赤ちゃんのことで、人前で泣いたのはこれで2回目。
妊娠悪阻で入院していた都内の大学病院で中絶を迫られた時と今回
I先生:「それじゃぁ、こうしましょう!」
「今日の血液検査の結果でも血糖が高いし、羊水も減ってないので、
すぐに入院して食事制限を受けてもらいながら、羊水を抜きましょう!」
私:「・・・」(頭真っ白で言葉が出てこない・・・)
I先生:「そして、抜いた羊水を検査して、仮にダウン症だったら、こちらも
心臓疾患を疑うなどそれ相当の対応をしますので・・・」
私:「分かりました。よろしくお願いします」
ということで、翌々日の入院を開始することとなりました。
あんなに嫌だった羊水検査を受けることになるなんて・・・
でも嫌だったのは、羊水検査⇒胎児異常発見⇒中絶で
羊水検査を捉えていたから・・・
お腹の赤ちゃんの命を守るための羊水検査だったら、
喜んで受けましょう
もともとの羊水検査の目的はそうだったのだと思います。
それがいつからか、異常を発見して中絶するツール化したのだと思います。
もともと白と黒しかない性格の私
こうなったら羊水検査で白黒を付けてもらって、ダウン症だったら、
早目に教えてもらって、色々と対策を講じましょう
どっち道、抜かなくてはならない羊水なら有効利用しましょう
と、入院を翌日に控え最後の晩餐を楽しみました
「今日の有り難い」
今日の通園で、おひーさまがビニール製の
長いトンネルをハイハイで通り抜けたこと!
半年前は先生がおひーさまを抱っこして背這いで
通って下さったので、ちょっと感無量モード・・・
「こんなことが出来るようになったんだ~!」
と嬉しさと有り難さで一杯!!
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2011年04月24日
2009年2月初旬 羊水検査を考える
この記事は回顧録です。
お腹の赤ちゃんの性別を知らせるメールを友人達に出しまくる私
ついでにランチのお誘いも!
悪阻の間は食べ放題のこと、友人達とランチすることなど食べ物の
ことしか考えていなかった私
会う友人、会う友人、開口一番
「え~、ちょっと!痩せすぎ~っ!」
「そんなに痩せちゃって大丈夫なの?」
「本当に悪阻が酷かったんだね・・・」
除々に痩せて行く自分の姿を見ていた私と違って、
友人たちは悪阻前の太っていた私の姿しか知らないのだから
こんな風に心配されても仕方ないし、有り難い
でも、みんなに同じようなことを言われ続けれると、
「私、本当に大丈夫かしら?」とちょっと疑ってみたり
友人達とのおしゃべりはとても楽しいけれど、出産後は超忙しくて
こんな時間は取れなくなるのかな~?と思って、色々な友人と
会いまくっていた妊娠中期
(今、思えば、この頃が一番楽しいマタニティライフでした)
そんな中で、かなり???だったのがKさんとの出会い
Kさんは、大好きというより尊敬に近い思いを持つMさんの友人。
当時44歳だった彼女は、不妊治療を7年間している人で、
高齢妊娠した私の話を是非聞きたいという・・・
Mさんとも会いたかったので、3人でランチ
Kさんが妊娠しないことで同居しているお姑さんからいびられ、
体外受精を何度も試みたけれど、妊娠には至っていないそう・・・
正直、44歳での妊娠の可能性は低いと思うので、焦っているのはよく
分かるけれど、性生活など答え難いことをずけずけと訊いて来るKさん
(初対面なのに失礼だな・・・)と思いながらも、
命が宿る幸せを共有したかったし、高齢妊娠・出産の仲間
を
増やしたかったので、ヨモギ蒸しや陶板浴などで体を温めていた
経験談などを丁寧に話していると・・・
Kさん:「で、羊水検査は受けたの?」
私:「受けてませんよ」
Kさん:「でも、ひーままさんは42歳でしょ?」
「ダウン症とかの確率が上がるじゃない?」
私:「どんな子供でも出産するので、羊水検査は受けなかったんですよ」
Kさん:「でも、ふつ~、その年齢なら受けるでしょ?」
私:(貴女の普通と私の普通は違うの!)
「他の人がどうであれ、私にとっては全く必要ないんですよ」
「羊水検査で破水するリスクもありますし・・・」
Mさんがゴメンネという顔をしている・・・
Kさん:「え~、でも~!」
私:(だから何よ?)
Kさん:「普通、40歳を超えると・・・」
「それに、ひーままさんは20週を超えているし・・・」
私:(何が言いたいの?もう中絶できない周期ってこと?)
私:「あの~、逆にKさんは羊水検査を必ず受けるんですか?」
Kさん:「ええ、もちろん!」
私:「何のために受けるんですか?」
Mさんが頷いた
Kさん:「えっ?胎児に異常があるかないかを知るため・・・」
私:「仮に異常があったらどうするんですか?」
Kさん:「そりゃ~、場合によっては中絶とか・・・」
「だって、障がい児なんか苦労するじゃない・・・」
私:「私は障がい児を育てることが必ずしも苦労とは思っていないんですよ」
Kさん:「え~?だって私達、年齢も高いし・・・それでなくとも・・・」
私:「価値観の違いですよ。障がい児を育てることが大変と思って羊水検査を
受ける人もいていいし、私のような人もいていいんだと思いますよ」
K:「でも、でもっ!」
あとは聞いていなかった私・・・
このまま話していても平行線だと思うと、必ずシャッターが降りるのです
(色々な価値観や考え方があっていいんだよ!)
(だいたいお姑さんへのリベンジのために子供が欲しいなんていう
自分主語だけでいたら、お空から見ている赤ちゃんに嫌われちゃうよ!)
などと、目の前のコーヒーカップと心の中で会話をしていました
その間、Mさんはず~っとに申し訳なさそうにしていて・・・
別れ際に妊婦菌が欲しいと、私のお腹をなで回したKさん
Mさんが触った時には動いた赤ちゃんも、Kさんの時はダンマリ・・・
この子もママ譲りの白黒人間だわ~
「今日の有り難い」
スーパーで岩手産の切りこぶが売っていたこと!
油揚げと炊いて、我ながら美味しく出来たこと!!
三陸の漁業は壊滅的な被害が出ていると聞いているので、
昔から食べて来た三陸の味を、こんなに早く味わえるとは
思っておらず、本当に嬉しかった!!!
「ひーまま特製切りこぶと油揚げの炊いたん」
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2011年04月23日
2008年12月下旬~1月上旬 性別判明
2008年の年末には、お腹の赤ちゃんの胎動を日に日に
感じるようになっていました

最初はスライムがべちょ~とお腹を移動する感じだったのが、
お腹の中で金魚が跳ねる感じになっていました。
胎動はだんだん激しくなって、妊娠後期にはサンドバック

されている・・・と思うほど

ある助産師は「ダウン症児はその性格からお腹の中でも大人しく、
胎動はほとんどない」と断言していたけれど、おひーさまに
関してはそんなことはなく、他のダウン症児ママでも胎動を
感じていた人は多いです。
胎動は母体の感じ方によるのだな~と思っています

(この助産師のことは、設定予定の「反面教師な人々」
というサブカテゴリーで、いずれ詳しく書きます)
年が明けた2009年1月1日0時!
近くで花火が上がった時、こんなことを自分に誓いました

「お腹の赤ちゃんがダウン症であろうがなんであろうが、
しっかり産んで、大切に育てて行こう

毎日のように感じる胎動を通して、お腹の赤ちゃんのことを
本当に愛おしく感じるようになっていたのだと思います

そして、年明け早々の1月7日は性別判定のエコー診断でした。
これまで診察には一度も付いて来なかった夫が午前休を取って
エコーに付き合うと言い出す

彼にとって、お腹の赤ちゃんは「女の子でなければならない」

一方の私は、男の子希望

お互いに女の子と男の子の名前まで勝手に決めていて・・・
私の中では「絶対に男の子!」という根拠のない確信

1月7日で白黒(勝負)をつけてやる~

技師さんが様々なチェックをして下さった後に、
「性別を知りたいですか?」と・・・
私より先に、夫が「はいっ!」

でも、大切な所をお腹の赤ちゃんが手で隠してしまっていて

「いや~ん!って隠してますよ」と技師さん。
(それって、女の子みたいじゃない・・・)と思った時、
「うん!女の子です!うん、うん・・・」と技師さん

これを聞いた時の夫は大きくイエ~イ

まるで勝負に勝ったかのように・・・
一方の私は「なんで~?」「いや、男の子だって!」と認めたくない

友人や知人などから「ひーままは男の子のママって感じ!」
と言われて来て、すっかりそう思いこんでいたのかもしれない

帰りのバスの中で、ニコニコ

何だか全てが夫の思い通りになっているような気がして、
憎たらしい

私は悪阻で苦しんだのに・・・

都内の大学病院では人生最低最悪の日々を過ごしたのに・・・

でも、この6カ月のエコーでは特に悪い所見は見当たらず、
都内の大学病院で大騒ぎされた頸部浮腫もすっかり
きれいになくなっているとのことだったので、
良しとしよう

と、意外と切り替えの早い妊娠6カ月のひーままでした

「今日の有り難い

昨日、おひーさまとお出掛けをして新宿駅から
京王線に乗った所、左側の靴を履いていない・・・
訓練用の物なので、結構高価なのです(涙)。
「もう出てこないだろうな~」と思いながら、
京王線の遺失物係に電話をしたら、「届いてますよ~!」と。
「有り得な~い!」「奇跡的!」と思うと同時に、
届けて下さった方に感謝!感謝!!
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2011年04月22日
2008年12月中旬 胎動確認
妊娠から出産までを綴った「おひーさまと出会うまで」の
更新が滞っていました

今日から5回シリーズで、悪阻が納まってから、告知の時など
おひーさまが誕生するまでのことを書いていきます

悪阻の間、ずっとしていたことは食べ放題のお店を検索すること

悪阻が終わったら、「食べまくってやる~


(後で携帯を見たら、凄い数のお店が登録されていて・・・

悪阻の前半5週間は、喉に関所があるじゃないか?と思うほど、
食事が喉を通らず、水と梅干し1個だけの日もあり

後半の5週間は、食べられるようになったものの、食べるとすぐに
トイレで戻してしまうので、結局、食べたことにはならない

結局、10週間で10kg痩せたので、1週間に1kg痩せた計算

時々、ダイエットをしてはことごとく失敗してきた私・・・
「人間、食べなきゃ、痩せるんだわ~!」と妙な自信を持ち

今でも不思議なのが、悪阻マックス状態の時でも、マックの
フライドポテト(マックじゃなきゃダメ)が食べたかったこと

悪阻が納まって初めての自力外出(夫も一緒だったけれど)は、
京王多摩センターのクリスマス・イルミネーション見物

家を出た時から足元がフラフラしていて、
「筋肉が落ちたな~!」
「そりゃぁ~、10週間ほぼ寝たきりだったんだから・・・」
「これって、筋肉性の脳ミソもなくなっちゃってたこと?」
などと夫に言いながら、駅のエレベーターの鏡に写った私は、
本当に痩せていて・・・


それだけでも少しショックだったのに、京王多摩センターから
パルテノンに通じる階段を上ろうとしたら足が上がらない

ショック

笑ってしまう位に足を持ち上げることが出来ない・・・
本当に筋肉が落ちてしまったということ

よ~く見ると、そばにスロープがあったので、ゆっくりと上がって、
イルミネーションの中に身を置くと、本当にきれいで


お腹の赤ちゃんとイルミネーション鑑賞が出来ることが嬉しくて

「お腹の赤ちゃんにも見えてるのかな?」と感傷

私の傍らで、「何?食べるだ?」と夫が・・・

私の脳ミソが筋肉なら、彼の脳ミソは胃袋

私が悪阻で苦しんでいる時も、
「腹が減っては戦ができぬ~!」と、ご飯を炊いた人

普段は穏やかな人だけれど、食べ物のことになると、
そんなに怒るんだぁ~


例えば、妊娠18週の時に行ったあるお寿司屋さんには、
「天然ぶり入荷!」の文字が

まだまだきちんと食事が出来ない私に、「ここでいい?」とか
聞かずに、どんどん店に入っていて、まっ先に
「天然ぶりの刺身を1人前!」と頼む人

ところが、出てきた天然ぶりは、彼が認識しているサラッと
脂ののった物ではなく、かなり人工的な脂の味がしたそうで、
「天然ものじゃない!」「養殖物だ~!」「広告に偽りあり!」と
帰りの電車の中でブリブリ怒っていて

乗り換えのホームで、「俺はブリ男なんだ~!」と言った時、
お腹に変な感触が・・・
スライムがベチョ~とくっ付くような感覚

妊婦向け雑誌で読んでいた胎動


パパが怒ったことに驚いたのか、初めてのお刺身が
美味しかったのか(養殖ぶりらしいけど・・・)、
おひーさまの胎動


それ以降も、レストランに入ると、食事を作り始めると、といった具合に、
ご飯関係のこと(特にバジル臭)が起きると、よく胎動を感じていました。
食いしん坊おひーさまは、お腹の中から始まっていたのかしら?

「今日の有り難い

おひーさまの誕生日ケーキを注文できたこと!
誕生日ケーキだけは特製の物と決めていて
毎年、同じお店に頼むことにしています。
2回目も無事に注文で来たことが有り難い!!
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2011年04月03日
2008年11月中旬 謝るくらいならっ!
おひーさまの出産するまでの記録を綴っている
「おひーさまと出会うまで」の更新が1ヵ月以上滞っていました
前回は、妊娠14週の時に転院した市内の大学病院のI先生から
お腹の赤ちゃんは誕生死に至ることが多い13、18トリソミーではない!
と言われたことを書きました。
I先生からは都内の大学病院から紹介状を取って
来ないと今後は診ないと言われ・・・
都内の大学病院はO医師から執拗に中絶を迫られ、
人生最低最悪の日々を過ごした場所!
「今は足を踏み入れたくない!」「どうしよう・・・」と悩みながら、
分娩予約を取って帰宅するのでした
帰宅して夫にその旨を話すと、会社がわりと近いので、
自分が代わりに紹介状を取りに行ってくれるという
人生最低最悪の日々を過した都内の大学病院に
行きたくないという以前に、悪阻が酷くて、とても都心まで
出られる状態になかったので、本当に助かりました
そして、紹介状をもらって来た夫の口からは意外な言葉が・・・
それは、最初に誕生死のことを説明し、私が母子手帳を取りたい旨を伝えたら、
「まぁ、記念に取っておきたいのだったら、いいかもしれませんね・・・」と言ったK医師のこと!
「K先生、謝っていたよ」
「我々も言い過ぎたって!」
「奥様の意思を尊重すべきだったって!」
なんでも、受付で紹介状だけもらって帰ろうとしたら
K医師に別室に通されて言われたそうで・・・
これを聞いて、「やっと分かったか~」と少し嬉しかったけれど、
「謝るんなら私に謝ってよ~」
「貴方に謝られても、私の気が済まない」
「K医師じゃなくて、O医師に謝ってもらいたいんだけどっ」
「って言うか、謝るくらいなら最初から、中絶を強要しなければいいじゃん」
と、「本当に悪阻に苦しむ妊婦さんですか?」と聞かれても
仕方ないほど大きな声で怒るひーままがいました
こちらが正しいこと!筋が通ったこと!謝罪してもらったこと!に
(O医師は分かっていなかったみたいだけれど・・・)
気を良くしたこともあってなのか、あれほど酷かった悪阻が・・・
なんと妊娠15週を迎えた朝、きれ~いに
なくなったのです
「今日の有り難い」
ヨーグルトが買えたこと!
おひーさまは酷い便秘症で、ヨーグルトは必需品!
でも、ここの所の品薄状態で、なかなか手に
入れることが出来ずに困っていました。
スーパーには、お目当ての商品はなかったけれど、
10個くらいヨーグルトがあって、そのうちの一つを手にした時、
「有り難いな~」と思いました。
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2011年02月23日
2008年11月中旬 そんなこと聞いてませんけどっ!
都内の大学病院のO医師に、胎児の頸部浮腫が厚いことから
21トリソミーよりも13トリソミー、18トリソミーといった誕生死する
可能性が高い染色体異常と指摘されました。そのために中絶手術の
日程を決められ、その方法まで説明されたことが怒り心頭に達し、
市内の大学病院に転院しました。
内診では後におひーさまを取り上げて下さることになる
I医師からは意外な一言が・・・

I先生:「この子、13番でも18番(トリソミー)でもないよ!」
私:「・・・」
(それって、どういうこと?)
(羊水検査も受けていないのに、どうして判るの?)
あまりの驚きの発言に、言葉を返せないでいると、
I先生:「大丈夫ですか~?」
私:「どっ、どうして違うって判るんですか・・・?

I先生:「この子、手をパーにしているから・・・」
「13番と18番の子はグーのままなんですよ」
私:「手の形だけで判るものなんですかぁ?

(意味が分からないながら訊いてみたという感じ・・・

I先生:「前の病院で聞かなかった?」
私:「そんなこと聞いてませんけどっ!

言い方がかなりきつかったのか、
(I先生に怒り


I先生はカーテンをシャーっと開けて、
エコーのモニターを指差しながら、
I先生:「ほら、手が開いてるでしょ?」
「お母さんに手を振ってるよ!」
初めて見るお腹の赤ちゃんの手

わずが14週なのに、もう手の形がきちんと出来ているんだ~

思わず「可愛い~

私の親バカぶりは、ここから始まったに違いない

I先生:「あとは21番(トリソミー)かどうかだね。」
「21番ならいいんでしょ?」
私:「はい!」
ダウン症児も8割がお腹の中で死んでしまうという情報を
どこかで読んだけれど、誕生死の可能性は低くなったと思うと、
安堵の気持ち


でも、産科の待合いで会計の処理を待っている間に
またしても怒り

14週の段階で、胎児の手から染色体異常の区別が
付くんじゃない

15週以降に出来ると言われた羊水検査よりも早い段階で、
破水などのリスクもなく、染色体異常の区別が付くんじゃない

それなのに、O医師からは一言もそんな話しはされず、
羊水検査をすっ飛ばされ、いきなり中絶の日程と
その方法を説明されたのはなぜなのか?

手の形からの診断方法を知らなかったとしたら、
産科医としての彼の力量を疑わなくてはならないし、
知っていても、「障がい児を育てるのは大変だ!」
という彼の勝手な価値観で、敢えて言わなかったのだ
としたら、医師としてのモラルを疑わなくてはならない

この事実を伝える意味からも、障がいがあろうとなかろうと、
子供が無事に生まれて1歳のお誕生日を迎えたら、
O医師に会いに行こう(怒鳴りこみ


決心するのでした

その前に、I先生からは都内の大学病院から紹介状を取って
来ないと今後は診ないと言われ、
「今は足を踏み入れたくない!」「どうしよう・・・」と悩みながら、
分娩予約を取って帰宅するのでした

「今日のラッキー

おひーさまが生まれてから更に悪化した四十型・・・。
接骨院でずっと治療を続けてきた甲斐あって、
今日の診療では稼働域がかなり広くなったとのこと!
さぁ~完全に治しておひーさまの筋トレに付き合うぞ~!!
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2011年02月13日
2008年11月中旬 それって、どういうこと?
この記事は回顧録です。
都内の大学病院のO医師から、お腹の赤ちゃんの頸部浮腫が厚いため、
染色体異常の中でも、誕生死の可能性の高い13トリソミー、
18トリソミーを指摘されていた
でも、お腹の赤ちゃんが自らの意志で命を閉じるまで、
大切にお腹の中で育もう
手塩にかけて育てることは出来なくても、
お腹の中で大切に育む
そんな人生があってもいいじゃない
その分、マタニティライフを楽しもう
仮に、赤ちゃんが誕生死してしまったら、お名前を付けて、きちんと
供養してくれるお寺に預け、月命日には欠かさずお参りに行こう
そして、その子に天国で会うために、「ママの人生はこうだったよ!」と
胸を張って言える人生を歩んで行こう
そんな風に考えたら、悪阻も少し楽になった気がして、
後におひーさまが生まれることになる市内の病院に転院することが出来た。
初診受付では、紹介状がないため3,150円を支払わなくてはならない旨を
伝えられ、「ちょっと惜しいけど、O医師に書いてもらうくらいなら・・・」と
承諾をして、晴々とした気持ちで産科に向かう。
都内の大学病院と違って、広い待合いには妊婦さんがたくさん座っていて、
「ここの病院なら、満足のいくお産が出来そう」と根拠もなく思う。
しばらくして呼ばれた部屋には、インターンぽい先生がいて、
妊娠からこれまでの経過を色々と訊かれた。
胎児の頸部浮腫が厚いことやO医師から執拗に中絶を強要されたので
転院したい旨を話すと、途中から加わって下さった看護師さんが
「まぁ、そんなことを・・・」と呟いたのを聞き逃さなかった私
ヒアリングが終わって、また待合いで待っていると、悪阻の症状が出て来て
そんな私の状態に気を遣って下さったのか、内診には意外と早く呼ばれた
診察室に入ると、後におひーさまを取りあげて下さることになるI先生が・・・
最近、知ったのだが、このI先生はかなりの名医で、何人もの赤ちゃんや
妊婦さんの命を救って来た方だそうで
本当だったら違う先生の曜日に受診しようと思っていて、
悪阻で行けなかったのも、もしかしておひーさまの仕業?
名医に命を救って貰いたかったんだね・・・
本当に生まれて来たかったんだね・・・
と最近、つくづく思うひーまま
I先生はヒアリングシートを見ながら、開口三番目くらいに・・・
「どんな子でも産みたいと言ってる患者さんに、
中絶を勧める医師なんていない!」と
「仰る通りなんですが、本当に言われ続けたんです!」と反論するも、
問答無用
(これじゃあ、まるで私が嘘をついているみたいじゃない?)
(「正直第一」の私!お腹の赤ちゃんが男の子だったら、
「正直(まさなお)と名付けようと思っているんだから!)
(いくらドMでも、妊婦の間は自分を虐めるようなことしないわ!)
と心の中でたくさん反論しておいたけれど
「まぁ、診てみましょう!」ということで内診を受けると・・・
・確かに頸部浮腫は見られるけれど、O医師が言ったように
7㎜とかのレベルではなく、3㎜強で消えかかっている。
・恐らく、次の診察の時には消えている可能性が高い。
・また、この時期(10週~16週)に浮腫は見られ易い。
・必ずしも頸部浮腫=染色体異常ではない。
という趣旨のことを立て続けに言われ・・・
(同じ患者でも、医師によって、こんなもに診方が違うんだ~)
(セカンドオピニオンって大切だよな~)
などと心の中で思っていると・・・
I先生:「この子、13番でも18番(トリソミー)でもないよ!」
私:「・・・」
(それって、どういうこと?)
(羊水検査も受けていないのに、どうして判るの?)
あまりの驚きの発言に、言葉を返せないでいると、
I先生:「大丈夫ですか~?」
私:「どっ、どうして違うって判るんですか・・・?」
このつづきは次回の記事で!
昼ドラみたいに良い所で切ってしまって、すみません<m(__)m>
「今日のラッキー」
カフェで一人お茶をしていたら、隣の隣の席に、
20代後半位のダウン症と思われるの男性と
お父様が座っていました。帰り際にゴミを
律儀に分別している彼の姿から、
「私も見習わなくちゃ!」と思いました。
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2011年01月26日
2008年11月中旬 誕生死について考える
都内の大学病院のO医師に決別宣言!をして、
せいせい

心臓がちゃんと動いているのか心配で溜まらない・・・

O医師からは内診の度に、中絶するよう執拗に言われ続けたけれど、
エコーで毎回、元気な赤ちゃんの姿を確認することは出来ていた

おもちゃの聴診器で赤ちゃんの心音を確認できるのは妊娠後期
からだろうから、リトマス試験紙のような物で、赤ちゃんが元気か
どうか確認できたらいいのに・・・


うじうじ考えていないで、早く市内の大学病院の産科に
転院すればいいのに、悪阻が酷くて日一日と延ばしている

でも、半分は周期が経つことによって、染色体異常のことが
より明らかになるのが怖いという思いもあった

退院してからは家のPCで染色体異常のことをより詳しく調べていた。
21トリソミーは誕生する確率が高いが、13トリソミー、18トリソミーは
誕生直後に亡くなるか、半年から1年以内に亡くなる可能性が高いと・・・

O医師によれば、お腹の赤ちゃんの頸部浮腫(NT)は7㎜弱と厚く、
13トリソミーか18トリソミーの可能性が高いとのこと。
O医師の言うとおり、誕生死してしまう命ならば、この段階で中絶を
して、次の妊娠の可能性を期待するという選択もある

そんな考えが一瞬だけ頭の中をよぎったけれど、まず一生懸命に
生きようとしている赤ちゃんの命を潰すことは絶対にできない

それに、42歳の私がまた妊娠する可能性は限りなく低い

それならば、お腹の赤ちゃんが自らの意志で命を閉じるまで
大切にお腹の中で育もう

手塩にかけて育てることは出来なくても、
お腹の中で大切に育む

そんな人生があってもいいじゃない

その分、マタニティライフ


仮に、赤ちゃんが誕生死してしまったら、お名前を付けて、きちんと
供養してくれるお寺に預け、月命日には欠かさずお参りに行こう

そして、その子に天国で会うために、「ママの人生はこうだったよ!」と
胸を張って言える人生


そんな風に考えたら、悪阻も少し楽になった気がして、
次の日に市内の大学病院に行くことが出来ました

そして・・・
意外な話

「今日の良かったぁ~~~

倦怠感や嘔吐はなくなったものの、咳が酷いので呼吸器科も受診。
レントゲンや煙を吸う検査?など仰々しく検査したけれど、
異常なし

大事に至らなくって良かったぁ~~~

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2010年08月20日
2008年10月下旬 頸部浮腫(NT)発見3
この記事は回顧録です。
お腹の赤ちゃんの頸部に浮腫があり、
ダウン症などの染色体異常の可能性が高いことを
告知されてから1週間がたった。
悪阻でほとんど食事が出来ない中、この1週間の間は、
染色体異常のことについてネットサーフィンしまくっていた。
特にダウン症のことを調べていて、
1.1000人に1人の確率で生まれて来る。
2.染色体異常の中でも比較的解明されている。
3.比較的傾向が分かっているので、対策も取り易い。
4.ゆっくりだけれど、着実に成長していく。
5.親の会などの支援が受けやすい。
など、ひーままにとっては明るい情報も入ってくる
あんなに辛かった悪阻ですら、悪阻があるってことは、
赤ちゃんが元気に育っているってこと!
もっと酷くなってもいいから、生きていて~!
とすら思う自分がいて・・・
でも、浮腫があることは決して良いことではないので、
「どうか消えていて欲しい!」
「一時的な物であって欲しい!」
という思いでクリニックに足を運ぶ。
内診の間は浮腫のことより、染色体異常のため、
心臓が止まっていたらどうしようという思いの方が強く、
こちらの心臓がバクバク状態
やはり、先生はエコーで胎児の首の後ろを何度も測っていて、
素人目にも膨らみが見える
(やっぱり消えていないなぁ・・・)と思う一方、
ピコピコ動いている小さな心臓を見て、
「良かったぁ~!生きているよ」
「頑張って~」
「ほんとう愛おしいよ~」
とニンマリしたりして・・・
診察室に呼ばれると、先生からは
「やっぱり浮腫は消えてないね」
「むしろ厚くなっている」
「ここはクリニックなので、大きな病院に行った方が良い」
と言われ、都内の大学病院のO医師を紹介される。
口は悪いけれど、信頼していた先生なので、
このクリニックで経過を見て欲しかった。
でも、大きな病院の方が良いのかな?と思って転院し、
O医師の診察を受けることになったが・・・
この医師に診察を受けていた日々は
正に「人生最低最悪の日々」でした。
こちらは「人生最低最悪の日々」というサブカテゴリーで
回数を分けて詳しく書いていきますね。
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2010年08月11日
2008年10月中旬 頸部浮腫(NT)発見2
この記事は回顧録です。
先生から胎児の首に浮腫があること、浮腫があると、
ダウン症児などの染色体異常の可能性が高いこと
を告げられ、真っ先にひーままの脳裏を過ったのが、
高校時代に出会ったダウン症の子供達の顔
次に出て来たのが、夢に現れたダウン症の女の子の顔
そして、この時「たぶん、この子はダウン症児でしょう!」と確信しました
そんなことを思っていると、
先生:「染色体異常の場合、お腹の中でダメになることが多い」
「でも、比較的、生まれて来るのはダウン症だね」
「貴女の年齢なら、ダウン症ということは十分考えられる」
「羊水検査を受けて染色体異常があるか調べた方が良い」
と少し焦りながら、でも淡々と語る。
ひーまま:「でも、破水などのリスクを伴いますよね?」
先生:「この年齢で羊水検査は避けて通れないでしょう」
ひーまま:(誰が決めたのよ)と心の中で。
先生:「ダウン症などの場合、中絶ということも致し方ない」
ひーまま:(えっそれどういうこと?)と心の中で。
帰りの電車では、2つのことが頭の中を錯綜して・・・。
「せっかく宿ってくれたのに、この子はお腹の中で死んでしまうの?」
「なぜ先生はダウン症=中絶のような言い方をするの?」
特に、ダウン症=中絶は全く理解できない概念
家に帰って早速、頸部浮腫についてネットサーフィンすると、
先生の言っていたことと、ほぼ同じ内容のことばかり出て来る
「染色体異常の可能性が高い」
「妊娠初期に流産する可能性が高い」
「ダウン症児は生まれて来れる可能性が高い」
やはり、妊娠初期に頸部浮腫のことを指摘され、
生まれて来た子はダウン症児だったという記事も
いくつか目にした。
一方で、妊娠初期に頸部浮腫があっても、
特に障がいはなく生まれて来たという記事もある。
ネットサーフィンをしながら、ひーままは
こんなことを心の中で呟いていました(^-^)
「たとえ染色体異常があっても、ダウン症児でも
生まれて来てさえくれればいいよ」
「でも、自ら命を閉じる選択をしたのなら、その
選択を尊重するよ!短い間だったけれど、
時間を一緒に過ごせたことに感謝するよ」
「でもでも、お腹の中では死なないで~」
その時、ひーままの心は既に決まっていました
染色体異常があろうがなかろうが、この子を産む
だから、羊水検査など全く必要な~い
☆関連ブログ☆
□2008年10月中旬 頸部浮腫(NT)発見1
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2010年08月04日
2008年10月中旬 頸部浮腫(NT)発見1
この記事は回顧録です。
義父が亡くなって少し落ち着いても、悪阻はいっこうに改善されない
それどころか、ますます酷くなって、食事がほとんど取れない
42歳の誕生日をお腹の赤ちゃんと迎えられたことはとても幸せ
でも、その記念すべき誕生日も何も食べられない…。
こんな誕生日は初めてなので、逆の意味で記念すべき誕生日?
一日中、ベットの上という日々も続いていて、携帯を見ること位しか出来ない。
携帯で検索するキーワードは、「悪阻」、「悪阻の改善方法」など。
すると、
「依頼心の強い人ほど、悪阻になり易い!」→なんだと~
「忙しくして来た人ほど、悪阻になり易い」→確かに~
「悪阻はママに休んでもらいための赤ちゃんからの薬」→なるほど~
うん?それって、ひーままに麻酔銃打ってるみたいな?
ネットサーフィンをしていたら、
「妊娠初期に赤ちゃんの心拍が止まっていた」
という高齢妊娠の方の書き込みをいくつか読んでしまい…
高齢妊娠ゆえ、初期流産しやすいのは事実でしょう
ひーままは大丈夫かな?
「お腹の赤ちゃんは元気かな?」
内診の時はいつも心臓が飛び出そう
エコーのモニターに映る心臓の動きを見て、いつもホーッ
対照的に、先生は「順調ですよ~!」といつもクール。
そんなある日(妊娠10週)の内診は、いつもに比べて時間がかかる。
エコーに映る胎児の首の後ろを何度も測っている。
「今日は丁寧に診て下さったわ~」と思って、診察室へ。
と、いつもクールな先生が少し慌てながら、
先生:「浮腫があるんだよ~!」
ひーまま:「浮腫って?」
先生:「むくみだよ。これがあると染色体異常などの可能性があってね…」
ひーまま:「染色体?」
先生:「染色体に異常があると、ダウン症児などが生まれやすいんだよ」
ひーまま:「・・・」
この時、真っ先にひーままの脳裏を過ったのが、
高校時代に出会ったダウン症の子供達の顔
次に出て来たのが、夢に現れたダウン症の女の子の顔
そして、この時「たぶん、この子はダウン症児でしょう!」と確信しました
*頸部浮腫(NT)に関連することも、回数を分けてじっくり書いていきますね
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2010年07月25日
2008年9月下旬 義父の死2
この記事は回顧録です。
良くなるどころか、ますます酷くなっていく悪阻…
食べていないので、体重はどんどん落ち、
トイレに行くにも貧血を起こす状態…
毎日、毎日、本当に辛くてしんどくて、
「お腹に赤ちゃんがいなかったら、こんな思いをしなくても済むの?」
と一度だけ、ほんの一瞬だけ思ったことがあります。
「ばっ、ばかなこと考えてんじゃないの~
」
「お義父さんだって、一生懸命病気と闘ってんのよ~」
「悪阻なんて、なんのこれしき~~~」
「なんとか、もう一度、お義父さんに会いに行こう!」
「そのためにも食べよう!明日の朝は食べられるかな?」
と自分を戒めながら眠りに…。
朝、早く夫の携帯が鳴って、義父の様態が急変したとのこと…。
慌てて車を出す夫を見送りながら、
「せめてせめて最期は会えますように…」
しかし、最期は家族の誰とも会わずに旅立ってしまいました。
入院してから、義母、義姉、義妹、夫が代わる代わる泊り込んで
義父さんの看病をしていたので、心の準備は出来ていたようです。
また、ほとんど闘病生活も送らず、あまり苦しまずに旅立ったことは
良かったんだよ!と言う人もいました。
でも、ひーままはお義父さんと結局2年くらいしか過していないので、
悔やまれることがたくさんあり過ぎて…
76歳での死は若すぎる…。あと10年は生きていてほしかった
ひーぱぱとは知り合ってすぐに結婚を決めたので、
結婚の挨拶に行った時に、義母は「どこの馬の骨?」
という表情でひーままのことを見ていて…
あまりに急だったので、無理はないけど…
(義母さん、あの時の顔、忘れませんよ~(笑))
一方、義父は仕事から帰ってくるなり、被っていた帽子を取って、
「こいつ(ひーぱぱ)をよろしくお願いします」って深々と頭を下げて…
(それは、こちらのセリフですけど…)
結婚してからも義父は、
「ひーままさんは本当によく食べるねぇ~」
「よく食べる人に悪い人はいない!」
などと、よくひーままに話しかけてくれて…。
少ない期間だったけれど、義父とは温かい思い出がたくさんあります。
でも、でも、今でも少し悔やまれるのは、お骨揚げをできなかったこと。
お通夜と告別式に参列しているだけで、気持ちが悪くなってしまい…。
火葬場でのお別れは、辛さと気持ち悪さとで耐えられないだろう、
お腹に障ってしまうだろうと判断して、セレモニーセンターでのお別れにしました。
お棺の中で安らかに眠る義父…。
「この子を守ってください。天国から見守ってあげて下さい」
と心の中で言って、お腹を触った手で義父の頬をなでました
セレモニーセンターからの出棺…。
心にポッカリと穴が開いた感じで、
一人、ロビーで見送るひーまま
「違う!違う!もう二人だったね…」
「おじいちゃんがあなたを守ってくれているよ!」
とお腹を擦りながら、ゆっくり歩き出しました
2010年07月18日
2008年9月中旬 義父の死 1
この記事は回顧録です。
妊娠初期は酷い悪阻に苦しんでいたひーまま
ほとんど食べられなかったので、こんなに食べられなくて
「栄養はきちんと赤ちゃんに行っているのかしら?」
「赤ちゃんは大丈夫なのかしら?」
と妙に心配になることも少なからずありました
そして、もう一つ気がかりだったのが義父のこと…。
義父の膵臓に腫瘍があって、どうやら悪性らしい…。
ちょうど妊娠を知った頃に、義父は入院となり、
医師からは「手術をするには体力的に危険」
「あと半年くらいの命でしょう」
と宣告されました
ひーぱぱは仕事をしながら、私を病院に送り義父のお見舞いに行く
という超多忙な生活を2週間位続けていました。
高齢妊娠は妊娠初期に流産する率が高いと知ったので、
妊娠報告は安定期に入ってから、お互いの両親にしようと
ひーぱぱと決めていました
「あと半年なら、何とかお腹の赤ちゃんにも会ってもらえそうだし!」
と安心もしていました。
(あまりにも悪阻が酷かったので、すぐにバレたと思うけど…)
ところが、義父の様態は日に日に悪化し、医師からは
「今月を乗り切ることも難しくなってきました」と…
時期尚早だけれど、見切り発車みたいだけれど、
義父だけには妊娠報告をしておこう!と決めて、
意識がもうろうとする義父に、ひーぱぱから伝えてもらいました。
「おとーだけに伝えるね。来年5月に赤ちゃんが生まれるんだよ!」
と、次の瞬間、
「良かったなぁ~!おめでとう!!」
「いい時期に生まれて来るな~」
としっかり言ったそうです。
なんと!意識が回復したのです
そして、2時間後にはもうしっかり義母、義姉、義妹に伝わっていて…。
「危篤だと思ったから、おとーだけに伝えたのに、
持ち直して、ペラペラ喋っちゃたんだよ~!」ってひーぱぱ…
喜ぶべき所でしょ?
とは言っても、やはりその月を超すのは難しい状況だったので、
ひーままもフラフラ状態で義父に会いに行きました。
酸素マスクがかけられた苦しい中で、義父は、
「おめでとう!5月かぁ?いい時期に生まれて来るなぁ~!」
「あんたはいい子だから、生まれて来る子もきっと、いい子だ!」
と言ってくれました
これが義父と交わした最後の言葉となりました…。
2010年07月07日
2008年9月中旬 ひどい悪阻
妊娠から出産までを「おひーさまと出会うまで」で綴っているけれど、
最後に更新したのが6月6日。約1ヵ月ぶりの記事になります
7月はこのカテゴリーと「偏見との飽くなき闘い」に重点を置いて
書いてきたいと思いま~す
久しぶりのテーマは「ひどい悪阻」
この記事は回顧録です。
それは突然やって来た。
妊娠が判って栄養を付けなければ!と
明太子を切って食卓に出す所までは出来た。
でも、お箸で口まで持って行くことが出来ない…
そう!悪阻である…
ひーじじは北九州出身なので、明太子だけにはうるさい!
明太子だけは高価な物が食卓に出ていたので、
ひーままも同様にしていた。
でも、本当に食べたくない…高価な明太子なのに…。
ひーぱぱときたら、
「大丈夫?」と一応心配そうにして、
「じゃあ、全部食べる!」って嬉しそう
(あ~悔しい!!!高価で美味しい明太子なのに…)
よくテレビで、女性がいきなり「うっ!」とか言ってトイレに
駆け込むシーンがあるけれど、ひーままの場合、
食べたくない・・・本当に食べたくない…。
大食いのひーままと悪阻とは、水と油のように
相容れないというか、全く縁がないと思っていたのに、
本当に本当に意外で…
そのうち治まるさぁ~とか、
悪阻を体験できるのもラッキー!
な~んて思っていたのが超甘かった…
治まるところか、日に日に酷くなって、
一日に食べた物は、梅干し一個と水300mlとか
こんにゃくゼリー3個とかいう日が続き…。
さすがに心配になり、ひーままを瞬間湯沸かし器にした先生に
「全然食事が摂れないんです」と伝えると、
「妊娠初期は仕方ないね~」とか
「気の持ちようってこともあるし…」とのご回答。
(男のあんたに、何がわかるのよ~)
電車の中では、外国人男性の香水の匂いに死にそうになりながら来たのに…。
「一応、検査をしておきましょう!」ということで、尿を取って待合室にいると、
今度は、奥さんの付き添いで来た男性の香水の匂いに襲われ…
(今日はついてないなぁ…)
看護師さんに呼ばれて診察室に入ると、
先生がごめんごめん
みたいな顔をしていて…。
「ケトン値*が高いね~」
「こりゃあ、相当しんどいわ~」
(だから、さっきから言ってるでしょ)
「このまま食事が摂れないと入院になるね…」
(そっ、それは困る)
「看護師さ~ん、点滴してあげて~!」
と、その日から3日に1度は通院となり、
一日約8時間の点滴に耐えるのでした
(まるで仕事をしてたみたい…)
それでも悪阻は妊娠15週まで全く治まらず、
total10kg痩せたひーままでした
「点滴は私の天敵!」
と何度、何度思ったことか~
*ケトン値:飢餓状態を測る数値で、+~++++まである。
数値の高い方が飢餓状態が進んでいる状態を表す。
ひーままは最高値の++++にまでなってしまった。
☆関連ブログ☆
□予知夢?
□祝!ご懐妊① 瞬間湯沸かし器
□祝!ご懐妊② 想定内と想定外
2010年06月06日
2008年9月初旬 祝!ご懐妊2「想定内と想定外」
この記事は回顧録です。
自分の妊娠を知って信じられない気持と共に、
日だまりのような嬉しさを感じながら、左手でお腹を擦り、
右手ではネットサーフィン…。
検索ワードは「高齢出産」
(「老齢出産」としたい所だけど、ヒットするとは思えず…)
すると、出てくる!出てくる!リスクの文字
「初期流産しやすい」、「染色体異常が起こりやすい」などなど。
中には、「高齢出産=ダウン症児」みたいなサイトもあって…。
親の会などで様々なお母さんにお会いしているけれど、
かなりお若~いお母さんもいらっしゃるし、みなさん、
結構お若いというのが印象!
でも、当時のひーままの中では「高齢出産=ダウン症児」
という考えが半分位あったので、言ってみれば、
ダウン症児は想定内!
で出産に臨もうとしていました。
一方、あるサイトの「42歳の3人に1人は流産する」は想定外!
正に、驚愕の事実~!という感じで…
ひーままを瞬間湯沸かし器にした先生の意図はここにあったのだ!
と、深~く納得し、「先生、すんませんでした…」と、
急にしおらしくなるひーまま
そんな時、思い出したのが昔お世話になった方の言葉!
その方は2回流産していて、3人目は逆子で首に臍の緒が巻き付き、
股関節を脱臼した状態で生まれてきたそうで…。
「生まれて来たい子は、どんな状態でもしっかり生まれてくるよ!」
そうだよ!年齢とかじゃなくて、お腹の赤ちゃんの意志だよ~!
この子は生まれて来たいに違いな~い
となぜか強く思い、この子がしっかり生まれて来られる環境を作ることが
今の私のタスク!とばかり、ふんどしを締めなおすひーまま
さっきまでのしおらしさは何処へやら~?
いつも展開、早いんですわ~
まずは栄養!栄養!と祝杯をあげるための夕食作りを始めました。
のちに来るひどい悪阻のことなど、全くの想定外!で…。
2010年06月04日
2008年9月初旬 祝!ご懐妊1「瞬間湯沸かし器」
おひーさまの妊娠を知ったのは2008年9月のこと。
クリニックの先生ときたら、
「お~、妊娠しとるな~!でも、ひーままさんは41歳だから…」
(カルテを見直して)
「うん?来月で42歳か…。この先どうなるか分からんなぁ~」
と、あっけらか~んとご発言
ひーまま、頭から湯気出しながら診察室を後に…。
確かに、クリニックに行く前の晩に、妊娠チェッカーでチェックし、
陽性の青い線を見て、一番笑い転げたのは、ひーままですよ。
「あれ?陰性の時に青い線出るんだったけ?」とか思って…。
41歳の女性がそうそう簡単に妊娠する訳ないとも思ってましたよ。
でも、でも、年齢のことを言われ、「この先どうなるか分からない」
とかはっきり言われると、瞬間湯沸かし器にもなるわさ~
「おめでとうございます!おめでたですよ」とか
先生にニコニコ言われるもんだと信じ込んでいたし…。
その時に、友達に送ったメール(最近、久しぶりに会って見せられた)には、
「こうなったら、死んでも産んでやる~!」
「老齢妊娠をなめんなよ~!!!」
と書いていた…
お母ちゃんが死んだら、赤ちゃんは生まれて来れないのにね…
家に着いて、多少、湯沸かし器状態が治まって来た時に、
ひーぱぱからのメールが…。
「ひーまま!でかしたぁ~~~!!!」
って…
そうだよ!ひーぱぱのためにも、お腹の赤ちゃんのためにも、
クールダウン!クールダウン!
と、お腹を擦るひーまま
日だまりのような何とも言えない嬉しさとともに…。
2010年05月19日
2008年7月下旬 予知夢?
ひーままのマタニティライフを綴っていきたいと思います。
特に、妊娠初期にダウン症などの可能性を示唆されても、
断固として羊水検査を受けなかった心理、
堕胎を強要した医師との闘い、
後期にダウン症と判った後の行動などについて
書いていくつもりです。
ひーままが自分の妊娠を知ったのは2008年9月のこと。
その2カ月位前にとても不思議な夢を見ました

広い会議室のような所に30~40代のカップルが20組位いました。
ひーままだけはなぜか一人で…。
すると、会議室の前のドアが開いて、
背の高い黒い服を着た男性が4~5歳位のとっても
可愛い女の子

その子は一目でダウン症と判る子で、白いブラウスに
黒いつりスカート、白いタイツに黒いエナメルのくつを
履いていました。
おかっぱ頭がよく似合う子で、男性の影に隠れながら、
大きな黒い瞳でこちらをチロチロ見ています。
男性は「この子は見て判るようにダウン症児です。
何方かこの子の親になって頂けないでしょうか?」
と言い出しました。
会議室はし~~~ん

ひーままも一瞬、躊躇したものの、
「このまま誰も手を挙げなかったら、この子はどうなるの?」
と思って女の子の顔を見ると、
恥ずかしそうに舌をペロペロ出しています。
その表情の可愛いこと


ひーままは後先考えずに(ひーぱぱに相談もせず)、
その子の所に行って、
「おばちゃんの子供になってくれる?」
「おばちゃんをママにしてくれる?」
と言いながら、女の子を抱きしめました

女の子はニコニコしながら、ひーままの首に
手をまわして、舌をペロペロ…。
朝、目が覚めて、不思議な夢を見たなぁ~

と思うひーままでした。