2011年02月27日
祝!1歳10カ月
今日でおひーさまは1歳10カ月になりました
毎月27日に、同じ内容の記事を書いているので、
読んで下さっている方々にとって、つまらない内容だと思います
今日も、ただの親バカ記事ですので、
予めお断わりしておきます<m(__)m>
おひーさまより後に生まれたダウン症児の親御さんに
各月齢の成長を参考にして頂けたら嬉しいという思いもあります。
でも、それは1%位で、あとの99%は思い出を綴っておきたいだけです
親バカ&腹黒ひーままに付き合わせて、本当にすんません<m(__)m>
ということで・・・
最近のおひーさまを3つの姫に例えると・・・
☆「あぷっ姫」☆
おひーさまは何か欲しい時と、催促する時に「あぷっ!」と言います
これを発見したのは、ひーばばですが、確かに食事の時によく言います。
おひーさまにご飯をあげながら、テレビに見入ったりしていると、
「あ~、あぷっ」と節を付けて催促されます
ひーぱぱ曰く、Hurry Upの「アップ」だとか・・・
毎日の育児にアップアップなのは、私の方なんだけどね
最近のおひーさまとは何となく会話が成立している気もします。
「まんまよ~」と言ったら、私のことを指さししてくれて・・・
「まんま」が「ママ」に聞こえたのかな~?
「ママ」の意味が分かってるのかな~?
と、かなり親バカなひーままでございます<m(__)m>
☆「怪獣姫」☆
とにかく、おひーさまはテーブルに上るのがお好き
我が家のダイニングテーブルでも実家のこたつでも、
目の色を変えて嬉しそうに上ります
立っちは気が向いた時しかしないくせして、テーブルに上る時は
大人の太ももを梃子にして上手に上ります
上った後は、ハイハイで湯飲みだの茶器だのを投げるし・・・
その姿は、色々な物を駆逐するゴジラのよう
怪獣姫の攻撃に対抗するため、家でも実家でも
食事が終わらないうちから食器を片づける有様
実家でくらい、ゆっくり食事をしたいのにね・・・
ゆっくり食事をするひーばばは、半分も食べていないうちから、
怪獣姫の対策に付き合わされているし・・・
☆「いたずら姫」☆
朝、起きたらリモコンの表示が冷房に変わっていた・・・
ひーじじの携帯に「キーロック」表示が出ていた・・・
滅多にかかってこないひーじじの携帯から着歴が・・・
実家のテレビに何だか知らない番組が映っていた・・・
電子ジャーの炊飯のスイッチが押されていて内釜が熱かった・・・
これは全ておひーさまの仕業
携帯やリモコン系好きに拍車がかかり、
色々なボタンやスイッチがいつの間にか押されています
一番ひやっとしたのガスのスイッチを押したこと
歩行器でガステーブルの所まで行って、背伸びして押していたのです。
カチカチという音で気付いたのですが、頭から体に
指令が出るまでに時間のかかるお年頃のひーまま
(←「よる年波には勝てない」と書け)
おひーさまの手を振り払うまでにも時間がかかってしまい・・・
火の出る所には未だ手の届かないおひーさまで良かったぁ~~~
今日もゴミ箱を漁って、八海山の空瓶(720ml)を投げ飛ばしたし・・・
シンクの下のドアを開けて、レシピ本を散乱させていたし・・・
おひーさまのいたずらは止まる所を知らない・・・
ひーままの老齢化も止まる所を知らない・・・
通園の先生によると、おひーさまはいたずらをする前に、
ニタ~っと笑うそうなので、それをサインにするしよう
来月の27日はどうなっているのだろう・・・
でも、ちょっと楽しみ~
姫、支えられての立っちが出来るようになったの~♪
向かって左側のひび煎餅のような手がひーままの手・・・
やっぱ!よる年波には勝てないわよね~ by 姫
「今日のラッキー

昨日、お風呂で咳をした時に、腰をぎっくり・・・
一時はおひーさまを抱っこ出来ないほど痛かった
けれど、今日の整体でグリグリやってもらったら、
かなり楽になったし、吸玉や耳つぼで咳も出にくく
なったし、鼻の通りも良くなった!!
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2011年02月25日
しっ、知らなかったぁ~
今日はおひーさまの通園の日
お天気が良くなるとは聞いていたけれど、朝方は未だ寒く、
エアコンの暖房を入れても、なかなか暖まらない
「おかしいな?」と思って、リモコンをよ~く見ると、
「冷房」の表示が・・・
おひーさまの仕業です
最近、携帯やテレビのリモコンなどのボタンを押すのが大好き
そう言えば、昨晩もエアコンのリモコンを押している音がしていたわ
リモコン以外にも、色々といたずらをしてくれるので、
今日の通園では何をやらかしてくれるか?と思って通園へ
でも、「やらかしていた」のは、あ・た・く・しの方で・・・
おむつ類が入ったポーチを入れ忘れていて、
おしり吹きもお食事エプロンもない状態
おむつは療育センターでお借りすることができたけれど、
「一つやると二つ忘れる」今日この頃を象徴した出来事でして・・・
今日の通園クラスは、リトミックと人形劇というフルコース
おひーさまはリトミックの間、私に支えられながら立っちしていて・・・
良くダウン症児は音楽好きと言われるけれど、おひーさまもそうなのかな?
おもしろかったのが、トトロの「歩こう!」の曲の時は立っちしているのに、
お雛様の曲に変わった途端に、足を曲げて座ろうとするのです
どうやら、アップテンポな曲はお好きと見える
人形劇の演目は、「大きなかぶ」、「だんご三兄弟」、「トトロ」
トトロの番になった時に、不思議に思ったのが・・・
大きなトトロの他に、トトロっぽい水色の人形と、
やっぱりトトロっぽい白い人形も登場していたこと
同じクラスのママに訊いてみたら、
全部トトロでそれぞれ役割が違うらしい
「しっ、知らなかったぁ~」
「トトロって、一種類だけじゃなかったの~?」
「トトロって、大トトロだけじゃなかったの~?」
そう言えば・・・
どきんちゃんは、アンパンマンの彼女と勝手に思っていた私
ウルトラマンとゴジラは、敵同士で戦っていると思っていた私
こんな誤解はこれだけではない気がする・・・
近い将来、おひーさまに「違うよ~!」、「そんなことも知らないの?」と
笑われる日が来るかもしれないなぁ~
「今日の幸」
大好きなY君と隣同士で滑り台を滑ったおひーさま。
お内裏様&お雛様みたいなラブラブ滑り台が
とっても可愛かった
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2011年02月23日
2008年11月中旬 そんなこと聞いてませんけどっ!
都内の大学病院のO医師に、胎児の頸部浮腫が厚いことから
21トリソミーよりも13トリソミー、18トリソミーといった誕生死する
可能性が高い染色体異常と指摘されました。そのために中絶手術の
日程を決められ、その方法まで説明されたことが怒り心頭に達し、
市内の大学病院に転院しました。
内診では後におひーさまを取り上げて下さることになる
I医師からは意外な一言が・・・

I先生:「この子、13番でも18番(トリソミー)でもないよ!」
私:「・・・」
(それって、どういうこと?)
(羊水検査も受けていないのに、どうして判るの?)
あまりの驚きの発言に、言葉を返せないでいると、
I先生:「大丈夫ですか~?」
私:「どっ、どうして違うって判るんですか・・・?

I先生:「この子、手をパーにしているから・・・」
「13番と18番の子はグーのままなんですよ」
私:「手の形だけで判るものなんですかぁ?

(意味が分からないながら訊いてみたという感じ・・・

I先生:「前の病院で聞かなかった?」
私:「そんなこと聞いてませんけどっ!

言い方がかなりきつかったのか、
(I先生に怒り


I先生はカーテンをシャーっと開けて、
エコーのモニターを指差しながら、
I先生:「ほら、手が開いてるでしょ?」
「お母さんに手を振ってるよ!」
初めて見るお腹の赤ちゃんの手

わずが14週なのに、もう手の形がきちんと出来ているんだ~

思わず「可愛い~

私の親バカぶりは、ここから始まったに違いない

I先生:「あとは21番(トリソミー)かどうかだね。」
「21番ならいいんでしょ?」
私:「はい!」
ダウン症児も8割がお腹の中で死んでしまうという情報を
どこかで読んだけれど、誕生死の可能性は低くなったと思うと、
安堵の気持ち


でも、産科の待合いで会計の処理を待っている間に
またしても怒り

14週の段階で、胎児の手から染色体異常の区別が
付くんじゃない

15週以降に出来ると言われた羊水検査よりも早い段階で、
破水などのリスクもなく、染色体異常の区別が付くんじゃない

それなのに、O医師からは一言もそんな話しはされず、
羊水検査をすっ飛ばされ、いきなり中絶の日程と
その方法を説明されたのはなぜなのか?

手の形からの診断方法を知らなかったとしたら、
産科医としての彼の力量を疑わなくてはならないし、
知っていても、「障がい児を育てるのは大変だ!」
という彼の勝手な価値観で、敢えて言わなかったのだ
としたら、医師としてのモラルを疑わなくてはならない

この事実を伝える意味からも、障がいがあろうとなかろうと、
子供が無事に生まれて1歳のお誕生日を迎えたら、
O医師に会いに行こう(怒鳴りこみ


決心するのでした

その前に、I先生からは都内の大学病院から紹介状を取って
来ないと今後は診ないと言われ、
「今は足を踏み入れたくない!」「どうしよう・・・」と悩みながら、
分娩予約を取って帰宅するのでした

「今日のラッキー

おひーさまが生まれてから更に悪化した四十型・・・。
接骨院でずっと治療を続けてきた甲斐あって、
今日の診療では稼働域がかなり広くなったとのこと!
さぁ~完全に治しておひーさまの筋トレに付き合うぞ~!!
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2011年02月21日
普通学級への就学という選択
親御さんも多いかと思われます

1歳9カ月の娘の母である私には、未だピンとこない点も多いのですが、
めぐままさんという方が就学に関して、とても貴重なコメントを下さいました

めぐままさんは昨年、ダウン症の娘さんを普通学級に就学させました。
その選択をされるまでの考えや担任の先生との関係など、経験された方
でないと分からない内容のコメントです

コメント覧ではもったいない内容なので、めぐままさんから了解を
頂いて、記事という形で取り上げさせて頂きました。
めぐままさんも、一人でも多くの方の参考になったら嬉しい

とのことです

以下、コメントの全文です

支援級判定で娘を昨年4月に普通級に入れました。
娘の発達状況を見ながら、普通級で大勢の子どもと
育ち合えるのではないかと思い、また判定された支援級で
娘の何を伸ばせるかを考え、支援級で得られるもの、
得られないものと、普通級で得られるもの、
失うかもしれないものを考えて結果普通級を選択しました。
一時期は手厚い支援のある支援校も真剣に考え、
見学に行き先生とも子どもも交えて面談もしました。
そこで充分伸ばしてくれるであろう娘に合った学力
というものもかなり魅力的でしたが・・・
支援級判定なので、普通級では支援員はつかないと教育委員会に宣言され、
校長にも当初は付添も迫られそうになりこちらも構えてしまったので、
今、思えば当初はギクシャクしたスタートでした。
担任も障がいのある子どもの担任の経験がないということで、
とても不安だったんだと思います。
娘や自分だけが大変と思っていましたが、
先生も不安なんだということに思いが至りませんでした。
そんなことでかなり私自身がへこむ時期がありましたが、
11/3講演の片桐先生にめぐり合うことができ、
また多くのママ仲間にも励まされ乗り越えて現在に至っています。
その間に週1日パートが休みの日に娘に付き添うことになったのですが、
それ以外にも週末にも学校に通い担任や相談窓口の保健室の先生、
特別支援教育コーディネーターの先生とお話しすることで、
お互いの気持ちが近くなったのか、学校全体で娘を理解してくれる
雰囲気がますます強くなりました。
もともと校長以外はできる限り「娘が楽しく学校に通えるように」します
と言ってはくれていたのですが、特に担任の娘への理解が特に深まり、
信頼関係ができたような気がします。
もうすぐ2年生になりますが是非担任を持ちあがってもらいたいと
思えるようになりました。夏休み前に思い悩んでいた時とは大違いです。
学校に対してはこちらの気持ちを丁寧に伝えることが大切だと思います。
何故障がいがある子どもの親だけが特別なことをしなければいけないんだろうと
思っていましたが、現状ではシステムが整っていない過渡期(であると思いたい)
なので、それを変えるための活動としては致し方ないことなのだと思えるようになりました。
ここを通らなければきっと変えられないのだろうと。
我が子が、我が子に続く子どもたちのためにも、今私ができることの1つなんだと思います。
そして、この親の思いを集めて行政のシステムを変えるために発信し続けたいと思います。
2年生に進級するにあたって教育委員会との面談もありますが、
そこでも娘の現状をしっかり見ていただき、こちらの思いもまた伝えていきます。
めぐままさん

貴重なコメント

「今日の幸

今日のPTでおひーさまが初めての一歩を!
もちろん、PTさんに支えられてのことだけれど、
自分の力で右足と左足を交互に出せて、
ちょっと感動モード!!
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2011年02月19日
「なぜ、うちの子に?」病への処方箋
昨年の今日は、翌日に控えたおひーさまの心室・心房中隔欠損症の
根治手術のため、榊原記念病院に泊まっていた日
先天性十二指腸閉鎖の手術を生後すぐに受けたおひーさま
「今度は心臓ですか・・・」
これが当時のひーままの心境
腑に落ちないというか、
誰に向けていいかの分からない腹立たしい気持ち
正直に言葉にすれば・・・
「なんで、うちの子にだけ二つも疾患があるのよ?」
「同じダウン症児でも、疾患を持っていない子もいるじゃない!」
「十二指腸だけで十分でしょ?心臓の方は誰かにやってよ!」
「なんで、一歳を前に二度も手術を受けなければならないのよ?」
「神様はアンフェア-だよ!」
「まぁ、よくもこんだけ恨みつらみwordが出て来るわね」
「負のオーラを出しまくって、私くらい不幸な女はいないってな感じ」
「でも、しんどいのは貴女じゃなくて、おひーさまよね?」
こんな言葉を発しながら、登場してくるのがひーまま2号
ひーままの分身で、私の俯瞰や内観を手伝ってくれる
つよ~い味方だけど、きつい問いかけ
をしてくる奴でもある・・・
2号:「貴女はダウン症児は好きなのに、疾患は受け入れられないのね?」
私:「そう!私は障がいはいいけど、疾患は嫌なの!」
2号:「今、〝私″って言ったわよね?それに〝嫌″とも・・・」
私:「あら?そんなこと言ったかしら?」
2号:「心臓手術でしんどい思いをするのはおひーさまなのに、
なんだか貴女が主語になっている気がするのよね・・・」
私:(心の中で)「確かにそうだ・・・」
ひーまま2号は、いつも手厳しい
でも、本当にその通り!
おひーさまは手術を受けて楽になりたい!もっと成長したい!
と思っているかもしれないのに、私の拘りが邪魔をする
2号:「貴女の拘りの部分をもう少し聞かせてくれないかしら?」
私:「そうね・・・体に傷が残るのが嫌なんだと思う。女の子だし・・・」
「それに・・・障がいの部分は私が係わって改善できるけれど、
疾患、特に手術の時は何もできないのが嫌なんだと思う」
2号:「なるほどね・・・でも、貴女じゃなくて、おひーさまを主語にして
考えたら、違う見方が出来るんじゃないかしら?」
と、サジェスチョンだけ与えて、消えていくひーまま2号
でも、自分一人で自分に問いかけると・・・
おひーさまを主語にしたつもりだけれど、手術が嫌だったのは、この私!
「しんどい」「つらい」は、一体誰が誰に向けて発した言葉?
「可哀想」と流した涙も、一体誰のために流した涙?
ひーまま!貴女が貴女の拘りのために発して流した物じゃない?
手術を明日に控えて、薄れていた「おひーさま/おひーさま」
思えば、生後すぐ十二指腸閉鎖の手術を受けたおひーさまを残して、
私だけが退院することになった前日の晩も同じように思っていて・・・
「こんな体で産んでごめんね・・・」
「ママだけが先に退院する型になって、ごめんね・・・」
この時も、ひーまま2号の登場で気付いたのが、
おひーさまと一緒に退院出来ないのが嫌だった私の存在
でも、一番尊重しなければならなかったのは、十二指腸閉鎖があっても、
心臓疾患があっても、生まれて来たかったおひーさまの意思
「我が家に来たかったおひーさまを大切に育てて行こうよ!」
そう誓ったはずなのに・・・
時として、「おひーさま/ひーまま」をやり、
「ひーままの拘り!」を重視している・・・
でも、これからも極力なしで行こう
そう新たに決意して、眠りに付きました
ところが、翌朝の検温で38.6度の熱を出したおひーさま
結局、手術は3月に延期!
でも、帰宅したら平熱に下がっていて
先生も「手術が嫌で知恵熱出したんですかね?」って
あんなに色々考えたけど、おひーさまも手術は嫌だったんだね
「今日のラッキー」
おひーさまをひーぱぱに預けて、「日本ダウン症療育研究会」の
講演会に行くことができた!ダウン症児の血液疾患や甲状腺機能
のお話などとても参考になることを学べた!!記事にしたいけれど、
あまりに難しい内容だったので、文章にできそうにない・・・
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2011年02月17日
素敵な番組のご紹介(2/18)
2本が放送される予定です

書きたい記事があったのですが、
こちらの方が緊急性が高いし重要だと思うので、
今日は、2つの番組の紹介記事を

★放送番組:「中居正広の金曜日のスマたちへ」★
●放送日時:2011年2月18日(金)21:00~21:54 予定
●コーナー名:「ダウン症書家・金澤翔子&泰子親子」
●企画内容:ダウン症書家・金澤翔子&泰子親子の人生を
再現VTRや本人・関係者のインタビューを交えて紹介する。
母と娘の壮絶な20年とは・・・
天才書道家金澤翔子が書く字とは・・・
彼女にしか書くことのできない書をスタジオで披露

「魔法の手」を持つ翔子さんの書道教室に
室井佑月・駒田アナが訪問

kimikoさんという方から以下のコメントを頂きました

"娘の友達の美憂ちゃん(小学校5年生)が上記の番組の再現VTRで、
小学校高学年の役で出演します。3月末の放送予定が急に明日になったので、
一人でも多くの人にお知らせしたいと思い、コメント欄に書かせていただきました。
詳しくは下記をご覧下さい!”
http://blog.goo.ne.jp/yukanyago1119/e/fead5690f86f293b85a7fd994fd95477
また、23時からはNHKBS1で、
ダウン症のカップルの番組もあります

ひーままも早速、番組予約をしました

明日が楽しみです

「今日の幸

昨日、今日と仕事などでかなり
忙しかったけれど、おひーさまを
ずっと見ていてくれる実家があって
本当に良かった!両親に感謝!感謝!!
とても恵まれていると改めて感じた。
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2011年02月15日
障がいって何なのだろう?
最近、近くの物のピントが合わなくなって来ていて、
コンタクトの買い替えも含めて眼科を受診しました。
症状を話すと、先生の助手の方が何か言いにくそうに
しているので、こちらから・・・
「老眼ってことですか?」と訊くと、
小さな声で「はい」って・・・
(でも、首を大きく縦に振ったのを、私は見逃さなかった・・・)
同い年の友達も最近、老眼の症状が出始めたとか
彼女曰く、「40を過ぎると、色々出て来るっていうから・・・」
まぁ、10年に一度のぞろ目の44歳
老眼くらいなら良しとしようか
「老眼はいいけど、〝老顔″でおひーさまのおばあちゃん?と
言われないようにしよう!」
な~んて余裕なのは、コンタクトの度数を変えれば対応できるから
遠く重視だったコンタクトを近く重視にするため、
度数を0.5ずつ下げただけで、とても見やすくなりました
(確かに遠くは見にくくなったけれど・・・)
因みに、私の視力は右目が0.01、左目が0.03!
視力検査のボードの一番上の輪の切れ目が
目の前でないと見えないのが0.01です
視力が落ち始めたのは、小5の頃から・・・
当時、保健係だった私はメガネをかけるのが嫌で、
保健室にあった視力検査のボートを全て暗記したのでした
そして、検査当日、余裕で片目を隠した所・・・
「みっ、見えない」
先生の差し棒が見えなかったのです・・・
コントみたいだけど、本当の話
私がコンタクトを初めてはめたのは高2の時
当時、付き合い始めたT君と映画「愛と青春の旅立ち」(←懐かしい?)
を観るために、親に頼みこんで高価だったコンタクトにしたのです
それまではメガネで暮らしていたけれど、かなりの近眼の私
分厚いメガネをかけた顔をT君に見られるのが嫌で、ずっとメガネを
かけずにデートしていたけれど、危険な状態が続いていたし、
映画をちゃんと観たかったというのもあるし・・・
初コンタクトでデートする日、待ち合わせしたのは京王線新宿駅の
パンダちゃんスタンプの所(←覚えている方いらっしゃいますか?)
現れたT君に「あれ、T君、なんか感じ変わったけど?」
写真でのTしか知らなかった私・・・
ほとんど見えない状態でデートしていた私・・・
とても大人げなかった私・・・
これが最後のデートとなりました
「最初からコンタクトにしておけば良かったのにね」と
高2の娘がいてもおかしくない今のひーままは思います。
今の私にはコンタクトは、本当に本当に必需品
高2の時のデートのようにコンタクトやメガネのない状態で
外出するなんて、まさに自殺行為
高2の時とは比べ物にならない程、コンタクトの質が向上し、
また、安価で手に入れることもできるようになりました。
でも、開発途上国に行ったら簡単に手に入れられるとは思えない・・・
(まぁ、メガネで生活することになるでしょう)
また、今の私が戦国時代に生まれていたら、コンタクトもメガネもなかった訳で、
敵の放つ矢が見えず、真っ先に命を落としていたかもしれません・・・
そう言えば、亡くなった祖父が太平洋戦争の時、目の悪い人は
徴兵検査で「不合格」になったと言っていました
敵の銃弾がメガネに当って、本人だけでなく仲間も負傷するからとか・・・
この時代にコンタクトがあったら・・・と思うと同時に、
私も徴兵検査で落ちて、「お国のためにならない奴!」と周りから
後ろ指を指されていたのかな?と思いました
でも、今の日本ではメガネやコンタクトで強度の近眼は補正できるし、
度数を下げただけで、近眼用のコンタクトで老眼対応もできてしまう
昔だったら、強度近視の私は「障がい者」だったかもしれないのに・・・
「障がい」とされる物を取り去る(補正する)物があれば、
「障がい」は「障がい」でなくなるのでしょう・・・
場所や時代が違えば、「障がい」の概念も異なるでしょう・・・
何を以て、「障がい」と言うのだろう?
考えれば考えるほど、筋肉製の脳ミソがフリーズするひーままでした
「今日の幸」
今日は雪のためプレ幼稚園がお休みとなり、
おひーさまとゆっくり家の中で過した。
どこかに出掛けていることの方が多いので、
こういう日も大切かな?と思う。
というか、「何でもないような日」を過していられる
ことこそが幸せなのかもしれないけれど・・・
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2011年02月13日
2008年11月中旬 それって、どういうこと?
この記事は回顧録です。
都内の大学病院のO医師から、お腹の赤ちゃんの頸部浮腫が厚いため、
染色体異常の中でも、誕生死の可能性の高い13トリソミー、
18トリソミーを指摘されていた
でも、お腹の赤ちゃんが自らの意志で命を閉じるまで、
大切にお腹の中で育もう
手塩にかけて育てることは出来なくても、
お腹の中で大切に育む
そんな人生があってもいいじゃない
その分、マタニティライフを楽しもう
仮に、赤ちゃんが誕生死してしまったら、お名前を付けて、きちんと
供養してくれるお寺に預け、月命日には欠かさずお参りに行こう
そして、その子に天国で会うために、「ママの人生はこうだったよ!」と
胸を張って言える人生を歩んで行こう
そんな風に考えたら、悪阻も少し楽になった気がして、
後におひーさまが生まれることになる市内の病院に転院することが出来た。
初診受付では、紹介状がないため3,150円を支払わなくてはならない旨を
伝えられ、「ちょっと惜しいけど、O医師に書いてもらうくらいなら・・・」と
承諾をして、晴々とした気持ちで産科に向かう。
都内の大学病院と違って、広い待合いには妊婦さんがたくさん座っていて、
「ここの病院なら、満足のいくお産が出来そう」と根拠もなく思う。
しばらくして呼ばれた部屋には、インターンぽい先生がいて、
妊娠からこれまでの経過を色々と訊かれた。
胎児の頸部浮腫が厚いことやO医師から執拗に中絶を強要されたので
転院したい旨を話すと、途中から加わって下さった看護師さんが
「まぁ、そんなことを・・・」と呟いたのを聞き逃さなかった私
ヒアリングが終わって、また待合いで待っていると、悪阻の症状が出て来て
そんな私の状態に気を遣って下さったのか、内診には意外と早く呼ばれた
診察室に入ると、後におひーさまを取りあげて下さることになるI先生が・・・
最近、知ったのだが、このI先生はかなりの名医で、何人もの赤ちゃんや
妊婦さんの命を救って来た方だそうで
本当だったら違う先生の曜日に受診しようと思っていて、
悪阻で行けなかったのも、もしかしておひーさまの仕業?
名医に命を救って貰いたかったんだね・・・
本当に生まれて来たかったんだね・・・
と最近、つくづく思うひーまま
I先生はヒアリングシートを見ながら、開口三番目くらいに・・・
「どんな子でも産みたいと言ってる患者さんに、
中絶を勧める医師なんていない!」と
「仰る通りなんですが、本当に言われ続けたんです!」と反論するも、
問答無用
(これじゃあ、まるで私が嘘をついているみたいじゃない?)
(「正直第一」の私!お腹の赤ちゃんが男の子だったら、
「正直(まさなお)と名付けようと思っているんだから!)
(いくらドMでも、妊婦の間は自分を虐めるようなことしないわ!)
と心の中でたくさん反論しておいたけれど
「まぁ、診てみましょう!」ということで内診を受けると・・・
・確かに頸部浮腫は見られるけれど、O医師が言ったように
7㎜とかのレベルではなく、3㎜強で消えかかっている。
・恐らく、次の診察の時には消えている可能性が高い。
・また、この時期(10週~16週)に浮腫は見られ易い。
・必ずしも頸部浮腫=染色体異常ではない。
という趣旨のことを立て続けに言われ・・・
(同じ患者でも、医師によって、こんなもに診方が違うんだ~)
(セカンドオピニオンって大切だよな~)
などと心の中で思っていると・・・
I先生:「この子、13番でも18番(トリソミー)でもないよ!」
私:「・・・」
(それって、どういうこと?)
(羊水検査も受けていないのに、どうして判るの?)
あまりの驚きの発言に、言葉を返せないでいると、
I先生:「大丈夫ですか~?」
私:「どっ、どうして違うって判るんですか・・・?」
このつづきは次回の記事で!
昼ドラみたいに良い所で切ってしまって、すみません<m(__)m>
「今日のラッキー」
カフェで一人お茶をしていたら、隣の隣の席に、
20代後半位のダウン症と思われるの男性と
お父様が座っていました。帰り際にゴミを
律儀に分別している彼の姿から、
「私も見習わなくちゃ!」と思いました。
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2011年02月11日
運動不足と感動不足
前々回の記事で、調布市立特別支援学校を見学したことを
書きましたが、同校のサポーターのM氏が見学後の講座の中で、
こんな風に仰いました
「運動不足は良くないけれど、
感動不足はもっと良くない」
思わず心の中で、「山田く~ん!座布団一枚!!」と叫んでしまい・・・
M氏曰く、「運動不足は否めない所だけれど、支援学校のサポーターを
長くしている間に、生徒達から様々な感動をもらった!」
なかなかの上手い表現と、長くサポーターをされて来た方だから
言える内容に、マッハモードで頷きまくるひーまま
私も妊娠が判るまでは、ジムで良く体を動かしていたけれど、
おひーさまが生まれてからは、そんな時間はなく・・・
運動らしい運動をしたのは一体いつだったかな?
でも、感動に関しては、おひーさまから毎日のようにもらってます
昨日は、実家で「じじ、どの人?」とおひーさまに訊いたら、
よだれだらけの人差し指で、ひーじじの鼻を指したのです
もう、ひーじじはデレデレ・・・
任侠映画にそのまんまで出演できそうなひーじじ
そんなお方のデレデレfaceって想像できますか?
(かなりおもろくって、こちらも感動?)
また、歩行器に乗ったおひーさまが市報を楽しそうに
広げたり、クチャクチャにしていたので、
「じじに、これを渡して来てくれる?」と言ってみたら、
ひーじじの方に進んで、ちゃんと市報を渡したのです
ひーじじときたら、どっから声出してのっ?ってな声で、
「ありがと~~~~」って・・・
こんなことは、1歳9カ月だったら、「普通」に出来ること
なのかもしれませんが、「普通」という概念が分からず、
おひーさま/おひーさまのひーままにとっては、
やはり感動なのです。
思えば・・・
昨年の今頃なんて、首も据わっていなかったおひーさま。
一人お座りが出来るようになったのは、1歳半の頃から・・・
ハイハイは、つい最近始まったし・・・
この前、おひーさまとタクシーに乗り込んだ所・・・
運転士さん:「何カ月ですか?」
ひーまま:「1歳9カ月です」
運転士さん:「じゃぁ、もう歩きますね?」
ひーまま:「いえ、未だ歩いてないんですよ」
運転士さん:「えっ?遅いですね・・・普通、その位だったら歩きますよね?」
ひーまま:「この子には障がいがあるものですから・・・」
運転士さん:「あっ、でっ、でも健康であれば・・・」
この手の会話には、もう慣れっこなひーまま
確かに、1歳9カ月という月齢だけを聞けばそう思うものなのだろうし・・・
でも、普通?、3~4カ月で据わる首が11カ月で据わった時、
普通?、8カ月位で出来るようになる一人お座りが1歳半で出来た時、
普通?、9カ月位で出来るようになるハイハイが1歳9カ月で出来た時、
感動は2倍!いや3~4倍!!になるのです
成長速度が1/2な分、熟成された感動
を味わえるのです
熟成されたチーズかワインの香りを嗅ぐみたいな感覚かな?
この感覚がダウン症児の母って、
「お得だよな~
」って思う所以の一つなんですけどね・・・
「運動不足は良くないけれど、感動不足はもっと良くない!」
ひーままの座右の銘?にさせて頂きます<m(__)m>
さぁ~、明日はどんな感動が待っているのかな?
「今日の幸」
おひーさまと一緒に初雪を見れたこと!
部屋の中から雪を見たので、おひーさまは窓ガラスの
水滴の方がおもしろそうだったけれど・・・
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2011年02月09日
障がい児との交流の重要性2
読んで何度も大きく頷きました

「要は(障がい児)と接したことがないのです。
無知の前に、存在を感じた事があまりないため、
興味もなく過ごしてきたように思います。」
私の場合は、特別支援学級のある小学校に通うことが出来て、
しかも、みよちゃんと同じ教室で過すことが出来た・・・
これって、本当に本当に大きな経験

私は、本当に本当に幸せ者

と改めて感じました

minminさんが指摘して下さったように、
機会がない→知らない→興味がない→偏見(ひどい場合)
になってしまうのだと思います。
人生最低最悪の日々のO医師も、今のダウン症児の姿や
現代の心臓手術の技術を知らなかったから、
「ダウン症児は長くても20歳までしか生きられない」と
言ったのだと思います。
「知っていて生んだのですか?」のK保健師も、
ダウン症児の親御さんとは5組しか接していなかった
(知らなかった)から、上記のような質問をしたの
だと思います。
もちろん、彼らは医師や保健師として仕事をしていく以上、
このくらいのことを勉強した上で、患者や利用者と接するのは
当然のことですが・・・

「知らない人」や「知ろうとしない人」がただ悪いのではなく、
知ることのチャンスがないのが現状なのだと思います

ならば・・・
「知らざるを得ない?

創っていけばいい訳ですよね?
では、ひーままに何ができるのか?
いつかゆっくりと書いてみたいと思っています

また、minminさんは以下のコメントも下さいました<m(__)m>
「娘の小学校には特別支援級があり、嬉しく思いました。
しかし同じ教室で学ぶ訳ではない・・と知り残念にも思いました」
こちらも、正にその通り!のコメントです。
私の卒業した小学校に特別支援学級(当時は養護学級)はあったけれど、
そこに在籍する生徒達との交流はほどんどなかったのです

年に何度か給食を一緒に食べる時間があったけれど、
自分の班に来ないと、結局、交流していなかったように思います

養護学級を訪れることもあったけれど、同じ学年の他のクラスに
入り難かったのと同じように、敷居が高く感じられていました

『障害があるからこそ普通学級がいい』の著者で、
障がい児を普通学級で受け入れて来られた片桐健司氏は、
「特別支援学級の生徒が使った水道の所だけ、
普通学級の子供達が並ばないなんてこともあって、
特別支援学級があっても、交流していないと意味がない!」
とご講演の中で仰っていました

このお話しは、ひーままにとって本当に耳の痛いこと・・・

実は、私も小学校の時に、養護学級の生徒が使った水道の所には
並ばなかった記憶が、この時に思い出されました

(子供心に、自分を「嫌な奴


でも、養護学級に移った後もみよちゃんの使った後の水道は使えたのです。
これは一重に、短い間だったけれど、みよちゃんと同じ教室で過ごし、
彼女のことを良く知っていたから、出来たのだと思います

片桐氏の仰る通り、特別支援学級という存在があっても、
実際に交流をしていないと意味がないのだと思います

中には、交流がほとんどないためか、自分の学校の中に
特別支援学級があることを知らなかった生徒もいたと
ママ友から聞いたことがあります

みよちゃんとの日々がなかったら、支援学校にボランティアに行くことも、
そこでダウン症児と出会うことも、もしかしたら、おひーさまと出会うことも
なかったのかな?そして、今の幸せ

と真剣に考え始めました

そして、調布市特別支援学校のプレールームに感謝する前に、
障がい児と接するきっかけを創ってくれたみよちゃんと、
初対面のお姉さん

ダウン症の子供達


でも、よくよく考えると・・・
みよちゃんも、あの時は10歳くらいだったダウン症の子供達も、
今は、いいおっちゃん、おばちゃんになっているんですよね?
ちょっと想像して、笑みがこぼれました

みんなどんな風になったのかな・・・?
「今日のラッキー

雪も雨も降っていなかったので、ベビーカーに雨よけを
かけることなくおひーさまと外出すると、途中で霰が降りだし、
大つぶの雪まで降って来て・・・
通園バスのバス停に着いた時には、おひーさまはびちょびちょ・・・
でも、バスに乗ったら止んだので、わずか10分位の出来事!
「私の日頃の行いが悪い」と保育士さんに言ったら、
「おひーさまが初雪を見れて良かったじゃない」と。
「おひーさま、雪が見れて(当たられて)ラッキーだったね!」と
思うことにしました♪
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2011年02月07日
障がい児との交流の重要性1
前回の記事で、ひーままが初めてダウン症児と出会った
思い出の調布市特別支援学校を訪れた話を書きました
「ダウン症児の母としての原点はここにありました!」
みたいな感じで、その時の話を校長先生にしていると、
「今は高校生や大学生も体験学習などで、よく来ているけれど、
その頃はどのような形で来たのですか?」と訊かれ、
(そう言えば、どこからの紹介だったのかな?)と答えに窮し・・・
30年近く前のことなんて、蜘蛛の巣が張った筋肉性の脳ミソでは
思い出せそうになかったけれど、かすかな記憶がありました
「調布市社会協議会で紹介して頂いて来たんだと思います」
帰り道で、当時の記憶を一生懸命に思い出すひーまま。
(筋肉製の脳ミソは、「ギーギー」音を立てていたけれど・・・
)
調布社協の窓口を訪ねて、
「私、ボランティアがしたいんです」
「特に、障がい児のお世話がしたいんです」
と怖々言った気がしています。
なぜ怖々だったのか・・・
机が並んでいて大人ばかりの冷た~い感じのするオフィスに、
高1のお譲さん(←その頃はねっ
)が一人で乗り込んで、
自分の希望を伝えるのは、さぞかし勇気のいることだったんだと思います
でも、頑張った背景には、みよちゃんとの思い出があったのだと思います。
小1の時に同じクラスだったみよちゃんは、授業中に奇声を発したりして、
お母さんといつも一番後ろの席に座っていました。
(逃げ出すことも多かったけれど・・・)
小1のひーままは授業そっちのけで、そんなみよちゃんのことを見ていました。
「みよちゃんは何が嫌なのかな?」
「どうすれば静かになるのかな?」
そんなことばかり考えていて・・・
でも、みよちゃんは、いつからか特別支援学級に移ってしまいました
どうやら同じクラスの保護者からクレームが出たらしいのです。
恐らく、子供たちが集中して勉強できない系のことでしょう
確かに、みよちゃんの奇声や脱走で、授業はよく中断していた気はします。
私が「左に右折して!」と言うのも、その頃に右左の勉強ができなかった
からかもしれないけれど・・・(←違うだろ~人のせいにし過ぎ
)
でも、ひーままは、机の上での勉強より、もっともっと大切なこと
みよちゃんから学ばせてもらいました<m(__)m>
みよちゃんに、他人を思う気持ちを育成して頂きました
って、特にここ10年は「業績」、「効率」などの気持ちの方が勝ってたけれど・・・
でも、何も出来ないうちに、みよちゃんは特別支援学級に行ってしまって・・・
子供心にとても残念で、それをず~っと引きずっていたのだと思います
ひーまま/ひーばば(子供を自分の思い通りに育てたかった実母)にも、
「高校生になったんだから、好きなことをするのっ!」くらいのことを言って、
調布社協に乗り込んだんだと思います
そう言えば、ボランティアに出掛ける時も、ひーばば(実母)からは、
「貴女は変わってるわね・・・障がい児と遊んであげるの~?」系
のことを言われて、
「あたしの勝手じゃん!もう高校生なんだから!」と頭から湯気を
出しながら、国道20号沿いを歩いた記憶も蘇ってきました
(も~、これ以上、筋肉性の脳ミソを使うと、次回の記事が書けなくなる(笑))
と、実母を悪代官のように書いたけれど、要は彼女も障がいを持った人と
ほとんど接したことがなかったのだと思っています。
折しも、minminさんから以下のようなコメントを頂いていました(以下、抜粋)。
「今まで私は障がいのある赤ちゃんや幼児に出会った事がありません。
昔、自分が通っていた小学校は特別支援級のない学校だったので、
児童にも会った事がありません。町で見かけるだけです。
要は接したことがないのです。
無知の前に、存在を感じた事があまりないため、
興味もなく過ごしてきたように思います。」
正にその通りだと思います
多くのことは、ここに潜んでいる気がします
次回の記事では、この辺りについて私なりの考えを書いていきます
お楽しみに~
「今日の幸」
おひーさまが食事用エプロンのポケットの中に
入ってしまったおからを自分の手で取って、
口に運んだこと!!
褒めたら何度も何度も真似をしていたので、
このままやり続けてくれるかな?
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2011年02月05日
ダウン症児との出会い(聖地巡礼?)

同校(当時は調布市養護学校)は、高1年の時にボランティアに行き、
初めてダウン症児と接した聖地

本当に聖地巡礼


見学の目的の10%は、将来おひーさまがお世話になるかもしれない
学校なので、先んじて見学しておきたい!なのですが・・・
メインの目的は、あの時のプレールームを見てみたい!
そして、御礼を言いたい!なのです。
今から30年近く前の記憶だけれど、放課後の時間に
障がい児と遊ぶというのがボランティアの内容でした。
ダウン症児以外のお子さんもいたけれど、鈴やタンバリンを持って
楽しく踊っているダウン症児4人の記憶だけが鮮明

みんなニコニコ


「な~んて可愛い子達なの~


彼らのニコニコ


妊娠初期に医師から、胎児がダウン症などの可能性がある
と言われた時、真っ先に脳裏に浮かんだのがこの時の体験

「あ~、あの可愛い子達


(もちろん、びっくりもしたけど・・・

実際にダウン症児と交流していたことがどれだけ大きかったか・・・
私にとって、この時の体験がどれだけの財産だったか・・・
この体験がなかったら、人生最低最悪の日々に何度もご登場
頂いているO医師の口車にのって、中絶という選択をしていたかも・・・
おひーさまと出会うことも、ブログを綴っていることもなかったかも・・・
そんなことを思いながら・・・
色々な所を見学して、最後の最後に思い出の聖地

使用中で中に入ることは出来なかったけれど、窓越しから中を見て、
「そう!そう!ここ!ここっ!」ともう感無量・・・

あの日、あの時、この場所に高1のひーまま(今よりずっと痩せていて、
今と比べればかなり可愛かったであろう

ここでダウン症児達と遊んでいたんだ!
貴重過ぎる体験ができたプレールームはキラキラ

「ダウン症児の母としての原点はここにあります!」
「プレールームさん、ありがとう!」と頭を下げているひーまま

(他の見学者からは???だったでしょう・・・

あんまり嬉しかったので

「一体何人に話したのっ?」ってくらい当時の話しをまくったひーまま

元幼稚園教諭のボランティアの方が・・・
「それは神様からのプレゼントだったのよ!」
「貴女はダウン症児のお母さんになる運命だったのね」
「お譲ちゃんはそんなお母さんの所に来れて幸せね」
と仰って下さいました<m(__)m>
本当にあの時からおひーさまとのご縁は出来ていたのだな

と改めて思うひーままでした。
同時に、当時から高校生などにボランティアの門戸を開いてくれていた
支援学校に感謝しました<m(__)m>
「今日の幸

おひーさまがダイニングからパパの部屋まで
距離にして10m位をハイハイして来たこと!
因みに、掃除をしていなくて埃だらけでのゴール(笑)
最近、ハイハイが出来るようになったのに、もう10m!?
クロールで5mしか進めないひーままからすると「すごいっ!」
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2011年02月03日
節分に思う
今日から「徒然なること」という新しいカテゴリーを増やしました。
白と黒しかなく、明確でないこと、根拠のないことを言ったり
書いたりするのが大嫌いなひーまま
ブログでも、当然、そういうスタンスで来たけれど、私の嫌いな
「な~んとなく思うこと」を敢えて書くカテゴリーがあるのも、
おもろいかもとドMは思い始めたのです。
その第一弾となるのは「節分に思う」
今日は節分ということで、調布の布多天神の豆まきに参戦してきました
年々、参加者が多くなっていると聞いて、ちょっと早目に陣取りをする。
今日は3月中旬の暖かさだったと聞いたけれど、待っている間は
地面から寒さが伝わって来て・・・
やっと、豆まき隊が出て来たので、「よし!」と腕まくりをするものの、
宮司さんの祝詞があったり、鬼が出てきたり、大黒さんが出てきたり・・・
「豆!豆っ!まめっ!早く豆を投げて~!」と心の中で何度も思うひーまま
でも、大黒さんの面を見ていて、な~んとなく思ったのが・・・
「何だかおひーさまに似ている」
低い鼻、下膨れのほっぺ、丸顔・・・
福を招く大黒さんって、もしかしたら、ダウン症の人をモチーフにしたのかな?
おひーさまの誕生で、我が家&実家には多くの福がもたらせれたもの
ひーままの人生も、おひーさまの到来で銀色から金色に昇級?したし
そんなことを考えながら、大黒さんを見ていたら、
何だか微笑ましくなって来て、ちょっと大黒ファンになるひーまま
と熱~い視線を送っていたら、豆まき隊が前進してくる。
「さぁ~豆まきの開始だ~!参戦だぁ~」と腕まくりをしようとすると、
隣のおばちゃんは、バックから大きな紙袋を取り出して広げる
(つっ、つわもの登場)
でも、紙袋作戦は意外と効率が悪い気がするし、邪道だわさぁ~
地面に落ちた豆をgetするのも、半分位福が逃げた気がするし・・・
やはり、福(豆)は自分の手でしっかりと掴むもの
このポリシーのもと、ひーままがgetした豆は5袋
うち1袋は「福銭」といって、5円玉が入っている袋
この袋は豆まき隊の一升に2袋しか入っていないそうで、
1/15袋の確立くらいかな?
めちゃくちゃラッキー
やはり、大黒さんに熱~い視線を送った御利益かしら?
「こいつぁ~、春から縁起が良いぞ~」
ひーままの戦利品!手前が福銭の袋。
大黒さんとおかめの絵が書いてあります。
「今日のラッキー」
もちろん「福銭」をGetしたこと!
先月末は風邪、嘔吐、胃痛で苦しんだので、
来年まで風邪は絶対にひかないぞ~!!
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2011年02月01日
障がい児の母を豊かに生きる2
2日前の「障がい児の母を豊かに生きる1」という記事で、
「障がい児の母」という軸を持って、
「出来る方法を探して実践する」というスタンスで
人生を豊かに生きて行く
とスタンスのみを書きました。
今日は、これからの「行動計画」を少し書いてみたいと思います。
私が目指していることは・・・
障がい者の住みやすい環境を創ること
特に、障がい者の雇用を促進するためのシステム創りに
これからの人生をかけるくらいの勢いで取り組んでみようと思っています
何度か書いた「お蕎麦屋さんの開業」(プラン1)、
実家での保育ママの拡大版「プチ保育園の開業」(プラン2)では、
おひーさま+数人の雇用しか産むことが出来ないのです。
もっと汎用性のあるシステム+利益の出るシステム
を
創らない限り、障がい者全体の雇用創出にはつながらないと思います
実は、秘策であるプラン3も考えているのですが、もう少し専門的な見地から
アドバイスを頂いた上で、ブログにはアップする予定です
このプランの背景には、「人生最低最悪の日々」で、何度もご登場頂いている
O医師の「ダウン症児は長くても20歳までしか生きない」とか
「将来は肢体不自由児になる」といった発言があります
彼が今のダウン症児のことをきちんと勉強していれば、
「一体いつのお話ですか?」系のことを堂々を患者には言わなかったでしょう。
医師なのに、今のダウン症のことを知らない・・・
これが全てを物語っていたように思います
逆に、彼の最寄り駅でダウン症者が元気に働いている姿を毎日のように
見ていたとしたら、上記のような発言をしたとは思えないのです。
だったら、障がい者が元気に働いている姿を見てもらえる
(見ざるを得ない?)システムを創ればいいんだと思ったのが発端です。
ただ、「絵に描いた餅」というか「ポリシーはいいけど中身は?」になるので、
障がい者が働く上での阻害要因というWhat(各障がい毎に大きく異なる)を
調べる必要があると思います
同時に、では、その要因をどう取り去って行けばいいのかというHowも
勉強していく必要があるはずです
また、経営の知識も、いまいちダウトなひーままなので、
ここら辺のセンスも磨いていく必要があるはずです。
そのために昨年11月から始めたのが中小企業診断士の受験勉強
しかし、勉強時間が圧倒的に足りていない
8月の一次試験まで、あと6カ月強となり、
ブログを書いている時間を受験勉強に移す必要が出てきました
やっとお尻に火がついたのかな?
ということで・・・
2月からは奇数日ブロガーになって、偶数日は受験勉強に充てます
2日に1回計画は、昨年11月にも立てていたけれど、意志の弱いひーまま、
すぐにブログを書きたくなってしまうのです
でも、奇数日ブロガーと決めてしまえば、違うのかなと思って・・・
もちろん、「ひーままのお受験奮闘記!」の方では、毎日の勉強時間や
内容は正直に書きます(勉強しなかったとか)ので、宜しかったら、
渇を入れに来て下さいね<m(__)m>
こんな夢みたいなことを書いているだけで、気持ちが充実してきました
(ほんと!単純だよね)
でも、こんなことを繰り返しいると、障がい児の母としての人生が
ますます豊かになってくる気もします。
では、2月3日(節分)に
「今日にラッキー」
今日もひーぱぱが飲み会だったので、
夕飯を作らず済んだ上に、「飲み会ばかり・・・」と
心にもないことを言って、ママ友との飲み会の間、
おひーさまの面倒をみてもらう約束を取り付けた!
今度は私が午前様だぁ~~~!!
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