2010年11月05日
みよちゃんとの思い出
連日書いている片桐健司氏の講演会に関連して、今日は
ひーままが小学1年生だった時の思い出を書いていきます。
ひーままが公立小学校に入学したのは、今から38年前
入学した初日から、ひーままにはとっても不思議なことがありました。
ひーままのクラスの1年4組だけ、後ろにお母さんが座っていたのです
この方はみよちゃんのお母さんで、みよちゃんの障がいのために
お母さんが毎日、付き添っていたようなのです。
「みよちゃんだけ、ママと一緒でずるいな~!」と思ってみたこともありました
みよちゃんの障がい名は未だに判りません・・・
子供達の間では、「生まれた時は障がいがなくて、注射で障がい児になったから、
ひまわり(特殊学級)じゃない普通クラスにいる」なんて言われていました
ただ、みよちゃんが授業中によく奇声を発していたことは鮮明に覚えていて、
その度にお母さんが「みよ!静かにしない!」と言って、手などを何度も
叩いていたのも鮮明に覚えています。
私がみよちゃんによくされたのは、お下げ髪を思いっ切り引っ張られたこと
その度に、お母さんが「ひーままちゃん、ごめんね・・・
」と
とても辛そうに何度も謝ってくれたことも覚えています。
確かに、と~っても痛かったけれど、不思議とみよちゃんを恨んだり、
嫌いになったことはなかったです。
給食をお盆毎投げられたこともあって、その時は「ラッキー
」って思ったし
ひーままは今と違ってその頃は、食が細くて全部食べないといけない
給食の時間が地獄で、地獄で・・・
担任の先生が自分の給食を私の所にもってきてくれたのを見て、
「せっかく、みよちゃんが投げてくれたのに
」とすら思いました
みよちゃんと恨んだり嫌いにならなかった理由は、
みよちゃんから多くのことを学んだからだと思います
確かに授業中の奇声で、授業が中断することは度々・・・
でも、小1のひーままは、「なんで、みよちゃんは奇声を発するのかな?」、
「きっと、みよちゃんは何は嫌なことがあるんだろうな・・・」
「何をしてあげたら、みよちゃんは静かになるのかな?」
「自分とみよちゃんは何が違うのかな?」などと
授業そっちのけで一生懸命に考えました
昨日、コメントを下さったみらいさんのお言葉を拝借すると、
「高度な知的興味
」をみよちゃんからもらっていたのです。
ある日の体育の時間、お遊戯かハンカチ落としか何かで、
みよちゃんが円の真ん中になったことがありました。
その時は、みよちゃんは奇声を発しない所かニコニコ笑っていたのです
子供心に、教室の一番後ろのドアの隣の席が嫌なんじゃないかなぁ?
お母さんが後ろに座っているから、その席なんだろうけれど、
真ん中の席にしてあげたら、騒がないんじゃないかなぁ?
と思ったもの記憶しています
でも、親の間から「子供の勉強が遅れる」系のクレームがたくさん
出たようで、みよちゃんの席は真ん中どころか、お母さんの席の隣
(掃除道具入れの前のみんなの席からは隔離感のある所)に移されました
子供心に、奇声が余計パワーアップしたようにも思ったけれど・・・
そして、ある日から、みよちゃんは1年4組に来なくなりました
先生に、「みよちゃんはどうしたんですか?」と聞いた所・・・
「みよちゃんはひまわり学級にいるのよ」と言われて、
朝、下駄箱の所で待っていたら、みよちゃんが養護の先生と
ひまわり学級に入っていく姿を見て、とっても淋しく感じました
みよちゃんがいなくなってから、確かに授業は静かに受けられるように
なったけれど、小1のひーままの心には大きな穴がポッカリと開きました
小1の時には数や文字などたくさんのことを学んだのでしょうが、
ひーままにとって、一番学べたことはみよちゃんを通してのことでした
ひーままが常々書いている「違い好き
」、「自分/自分」、「ONLY ONE」という
感覚はみよちゃんとの関係で築き上げたのではないかと思っています
これらの感覚は、ひーままの礎
となっています。
その後、ひまわり学級でも、みよちゃんの姿を見ることはなくなりました。
転校だったのかな・・・
44歳になったみよちゃんはどうしているかな?
会ってみたいなぁ~
そしてお礼を言いたいなぁ~
「短い間だったけれど、一緒に過ごせて嬉しかったよ!」って・・・
ご訪問ありがとうございます<m(__)m>
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ひーままが公立小学校に入学したのは、今から38年前

入学した初日から、ひーままにはとっても不思議なことがありました。
ひーままのクラスの1年4組だけ、後ろにお母さんが座っていたのです

この方はみよちゃんのお母さんで、みよちゃんの障がいのために
お母さんが毎日、付き添っていたようなのです。
「みよちゃんだけ、ママと一緒でずるいな~!」と思ってみたこともありました

みよちゃんの障がい名は未だに判りません・・・
子供達の間では、「生まれた時は障がいがなくて、注射で障がい児になったから、
ひまわり(特殊学級)じゃない普通クラスにいる」なんて言われていました

ただ、みよちゃんが授業中によく奇声を発していたことは鮮明に覚えていて、
その度にお母さんが「みよ!静かにしない!」と言って、手などを何度も
叩いていたのも鮮明に覚えています。
私がみよちゃんによくされたのは、お下げ髪を思いっ切り引っ張られたこと

その度に、お母さんが「ひーままちゃん、ごめんね・・・

とても辛そうに何度も謝ってくれたことも覚えています。
確かに、と~っても痛かったけれど、不思議とみよちゃんを恨んだり、
嫌いになったことはなかったです。
給食をお盆毎投げられたこともあって、その時は「ラッキー


ひーままは今と違ってその頃は、食が細くて全部食べないといけない
給食の時間が地獄で、地獄で・・・

担任の先生が自分の給食を私の所にもってきてくれたのを見て、
「せっかく、みよちゃんが投げてくれたのに


みよちゃんと恨んだり嫌いにならなかった理由は、
みよちゃんから多くのことを学んだからだと思います

確かに授業中の奇声で、授業が中断することは度々・・・
でも、小1のひーままは、「なんで、みよちゃんは奇声を発するのかな?」、
「きっと、みよちゃんは何は嫌なことがあるんだろうな・・・」
「何をしてあげたら、みよちゃんは静かになるのかな?」
「自分とみよちゃんは何が違うのかな?」などと
授業そっちのけで一生懸命に考えました

昨日、コメントを下さったみらいさんのお言葉を拝借すると、
「高度な知的興味

ある日の体育の時間、お遊戯かハンカチ落としか何かで、
みよちゃんが円の真ん中になったことがありました。
その時は、みよちゃんは奇声を発しない所かニコニコ笑っていたのです

子供心に、教室の一番後ろのドアの隣の席が嫌なんじゃないかなぁ?
お母さんが後ろに座っているから、その席なんだろうけれど、
真ん中の席にしてあげたら、騒がないんじゃないかなぁ?
と思ったもの記憶しています

でも、親の間から「子供の勉強が遅れる」系のクレームがたくさん
出たようで、みよちゃんの席は真ん中どころか、お母さんの席の隣
(掃除道具入れの前のみんなの席からは隔離感のある所)に移されました

子供心に、奇声が余計パワーアップしたようにも思ったけれど・・・
そして、ある日から、みよちゃんは1年4組に来なくなりました

先生に、「みよちゃんはどうしたんですか?」と聞いた所・・・
「みよちゃんはひまわり学級にいるのよ」と言われて、
朝、下駄箱の所で待っていたら、みよちゃんが養護の先生と
ひまわり学級に入っていく姿を見て、とっても淋しく感じました

みよちゃんがいなくなってから、確かに授業は静かに受けられるように
なったけれど、小1のひーままの心には大きな穴がポッカリと開きました

小1の時には数や文字などたくさんのことを学んだのでしょうが、
ひーままにとって、一番学べたことはみよちゃんを通してのことでした

ひーままが常々書いている「違い好き

感覚はみよちゃんとの関係で築き上げたのではないかと思っています

これらの感覚は、ひーままの礎

その後、ひまわり学級でも、みよちゃんの姿を見ることはなくなりました。
転校だったのかな・・・
44歳になったみよちゃんはどうしているかな?
会ってみたいなぁ~


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