2011年04月29日
告知時の心境
前々回の記事では、おひーさまがダウン症であることをどう
告知されたかについて書きましたが、今日はその時の
心境などについて書いていきたいと思います
病棟主治医のT先生は「結果はこの通りです」と、
用紙をさっと私の方に差し出しました。
私:(これでいいんだよ!都内の大学病院のO医師みたいにつべこべ言わず、
結果はこの通り!だからアンタ自身が考えろ!でいいんだよ!)
(T先生のこういう竹を割った性格が好きだわ~)と思いながら・・・
検査結果の染色体を1番から順に見て行き、13番と18番が
2本(正常)なのを確認した後、問題の21番を見ると・・・
本来は2本しかない染色体(両親から1本ずつ受け継ぐ)が
3本立っていました
21トリソミー(ダウン症)ということです!
この時に思ったことは3つ
まず、これまで読んできたダウン症関係の本に載っていた写真(図?)と
全く同じ物が目の前にあることに、ちょっぴり感動
(本当にこういう物をもらうんだなぁ~!)と心の中で思う私
感動する所ではないと思うんですけど・・・
次に、(あ~、これで夫は海外赴任できなくなったな!)と落胆
海外赴任=出世らしいので、子供の障がいのために彼の
人生に悪影響を与えてしまったなと思う私
そして、でも私一人の人生で考えると、お得感で一杯
(ダウン症児はゆっくり成長していくので、競争などとは
ほぼ無縁のゆ~っくりとした子育てができるわ~!)
(ゆっくりとした成長の中だからこそ、何かが出来た時の
感動って凄いんだろうなぁ~!)とちょっとほくそ笑む私
これまでが競争社会にど~っぷりと浸かって、本当に忙しく
生き過ぎて来たのでしょうね・・・
検査結果の用紙を凝視しながら、上記3つのことを瞬時に思った後、
T先生の方を見て、「分かりました」と一言
先生も「障がいや疾患ではなく、逆子のために帝王切開になります」
「赤ちゃんの十二指腸閉鎖の手術も成功率の方が高いです」と
今後の計画を話して下さるだけで、特に障がいのことには触れない
先生にお礼を言って病室に戻るまでの間に思ったことは2つ
廊下を歩きながら、子供の障がいで海外赴任ができない!
なんて誰が言ったんだろう?
年に何度か日本に戻ってきて、その時に診察や訓練を
受ければいいんじゃないの?
赴任先にもPTさんやOTさんはいるでしょう?
貨幣価値の違いを利用して、プライベートレッスンを受けさせるか?
病室に戻る前に立ち寄ったトイレに座って、
よくダウン症児は、育てられる両親の所にしか来ないと聞くわ・・・
そう言えば、『天国の特別な子ども』の中には、特別な任務を
引き受けてくれる両親の所に来ると書いてあったわ・・・
じゃあ、私は選ばれたのかな?
神様から、「ひーまま達なら大丈夫」と太鼓判を押されたのかな?
だったら、名誉なことじゃない
「神様、どうぞご安心ください!お任せあれ~」
退院手続きをして1ヵ月ぶりに戻った我が家で、
まず最初にしたことは大親友へのメール
「お腹の赤ちゃんはダウン症でした。これって神様に見こまれたってこと?
だとしたら、神様、ありがとうだよね?少し武者震いしていたわ~!
それに、お腹の赤ちゃんがますます愛おしくなってきたよ!
この子は障害者ではなく、招愛者だわ~(←うまい?)」
出産までの1ヵ月は、この大親友と会ったり、優雅にお一人様ランチを
したり(←ちゃんと食前にインスリンを打ってましたよ)と残り少ない
マタニティライフをエンジョイしていました
そして、ダウン症として生まれてくる赤ちゃんの成長に少しでも役立つ
情報や方法というHOWを探していました
と、この話を我が子がダウン症ということを十分に受容できていない
お母さんにすると、「どうして名誉なことなんて思えるの?」と時々
聞かれ、うまく表現できない自分にいら立っていたのですが・・・
おひーさまのママを2年務めてきたお陰か、最近になってやっと
上手い形容や表現を見つけました
近々、「ダウン症とシンガポール」という記事で書きますね
お楽しみに~
「今日の有り難い」
今日はひーぱぱとの初デート5周年記念日☆
なので、3人でちょっとリッチなフランス料理ランチ!
こんな私と結婚してくれた人がいたことが有り難い!
そして私達の所にやって来たおひーさまがいたことも
有り難い!!な~んて思いながら、ウトウトしていた
おひーさまにデザートのプリンをあげたら、パッチリ
目を覚まして、ガツガツ食べていた姿に興ざめ・・・(>_<)
ご訪問ありがとうございます<m(__)m>
ランキングに参加しているので、下のバナー
をクリックして頂けると励みになります♪
↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓
にほんブログ村
にほんブログ村