2011年04月04日
普通・日常であることの有り難さ
「普通・日常であることの有り難さ」
この言葉は、よくコメントを下さるSTHさんが書いて下さったもの
私が常々思っていることを、一言で上手に言い表してあって、
「うん、これ!これ!この表現!!」と何度も頷いてしまったので、
今日はひーまま語録としてご紹介しました
(人のふんどしで相撲を取っているみたい・・・)
特に、東日本大震災が起きてからというもの、
いつもと同じように時が過ぎてくことが
実はとっても貴重なことなのだと思うようになりました
おひーさまが生まれてからも漠然とは思っていたけれど、
上手く言葉には出来なかったし、STHさんのように上手に
書き表すことはもっと出来なかった思い・・・
今日はおひーさまのPTのため療育センターに時間通りに着いて
前回は動いていなかった駅のエレベーターも動いていたし
泣きながらでも、一歩一歩足を出すおひーさまがいて
(最近、後ろから支えると、自分から足を出すようになりました)
いつも通る帰り道には、真っピンクの桜が満開で咲いていて
訓練で疲れたのか、ベビーカーでおひーさまが眠ってくれたのを
良いことに、カフェでお一人様時間を過せて
今日一日を振り返っただけでも、普通・日常であることが
有り難く、また素晴らしいことなのだと感じられます
でも、ISOコンサルタントとして、何十案件も抱えていた頃には
「普通・日常であることの有り難さ」なんて言われても、
「はいっ?」って感じだったでしょう・・・
効率良く仕事をこなす!
同僚より業績を上げる!
この二つしか頭になかったと言っても良い私が
「普通・日常であることの有り難さ」ということを
「うん、これ!これ!この表現!!」と思えるようになった
背景には、何と言ってもおひーさまの存在があります
恐らく、ダウン症者には「競争」、「効率」、「業績」など
という概念はないのだと思います。
幼児のおひーさまは、ただひたすらに、純粋に
、
今日一日を生きています
でも、その姿は彼女が成人しても変わらないのだと思います
そんなことを考えながら、おひーさまと日々を過ごしているうちに、
「普通・日常であることの有り難さ」ということを
まるでお抹茶を味わうかのごとく、深~く
味わえるようになったひーままがいました
「ダウン症児の母って、お得だな」と思いながら・・・
「今日の有り難い」
明日は風邪をこじらせて延び延びになっていた
親知らずの抜歯(手術?)の日!
右下の親知らずが逆さに生えていて、しかも
袋がまで出来ているとのこと・・・
周りから色々と脅され、ドMの私もさすがに
怖じ気づきつつあるけれど、見つけてもらえたこと、
手術?が出来ることを有り難いと思わなくちゃねっ!
ご訪問ありがとうございます<m(__)m>
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