2011年03月06日
障がいって可哀想なのかな?
彼女のお子さんのらいむ君は耳が不自由で、一緒に特別支援学校
などを訪問しているとのこと

そんな今井さんが番組の中で言ったことに、何度も何度でも頷きました

「障がいは不便かもしれないけれど、決して可哀想ではない!」
確かに、おひーさまも知的障がいのため、成人しても字が読めない、
計算できないといった生活上の不便に遭遇することは多々あるでしょう。
でも、それはただ不便なことであって、可哀想なこととは違うはずです

私自身のことに置き換えても、おひーさまの首の据わりが遅かったため、
縦抱っこが出来ず、いつまでも腱鞘炎が治らず生活上の不便はあった
けれど、こんなことは論外だし・・・

だいたい「可哀想」って、
どういう意味なんだろう?
どういう時に使う言葉なんだろう?
と、時々分からなくなるひーままがいて・・・

そんな折り、親の会の先輩ママから頂いたメッセージ

「この子が不幸だとか、可哀そうだとか、
親を含め他人が決めてはいけない!
それはその人自身が死を迎える時に感じる事だから・・・」
正にその通り
というより、私が思っていたことを過不足なく文字化してくれた文章
おひーさまに障がいがあるから可哀想・・・
おひーさまは、あんよが出来ないから可哀想・・・
おひーさまは、お話しできないから可哀想・・・
おひーさまを含めて、当の本人に確認しないで、
他人が勝手に判断して、こんな風に「可哀想」と口にするのは、
とても失礼な行為
先輩ママのメッセージのように、全てはおひーさまを含む
その人自身が人生を閉じる時に判断することなのだと思います
また、仮に「ひーままさんは、障がい児を持って可哀想!」
と誰かが言っていたら・・・
「あなた!私に確認してそう言っているのですか?」
「確認してませんよね?だって私はおひーさまの母になれて、
とても幸せで、自分のことを可哀想だなんて一度も思ったことは
ないのですから・・・」と言うでしょう
まぁ、私自身が人生を閉じる時に、障がい者の母親であって、
私の人生は不幸だった可哀想だった・・・と思うかもしれないけれど
これだけは、その時になってみないと分からない
でも、ど~せなら、「私の人生100点満点だった」と
ニコニコしながら三途の川を渡りたいので、
障がい児ママの部分も含めて、これからも
人生を楽しんでいこ~う
「今日のラッキー」
昨日、おひーさまが発熱し会議にも出席できなかったし、
ブログもアップできなかったけれど、今日は37度台で
落ち着いてきているので良かった!
明日には平熱に下がってくれるといいなぁ~!!
ご訪問ありがとうございます<m(__)m>
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