2011年01月06日
2008年11月上旬 決別宣言!
この記事は回顧録です。
悪阻のため入院していた都内の病院では、O医師から執拗に中絶を
勧められ、正に人生最低最悪の日々を過ごしていました
そんな中、やっとケトン体の数値が下がり退院できることになった時、
K医師からはこう言われました・・・
「母子手帳を取るのですか?」
「まぁ、記念に取っておきたいのだったら、いいかもしれませんね・・・」
(「記念」ってどういうこと?それじゃあ、まるでお腹の
赤ちゃんがいなくなってしまうみたいな言い方じゃない)
本当は二度と、こんな病院の敷居を跨ぎたくはなかったけれど、
次の外来は、しっかり母子手帳を取って受診してやる~
と思って、外来の朝、酷い悪阻の体をおして区役所へ
母子手帳を取得するためには、申請書に色々と書き込まないとならない
下を向くと、気持ちが悪くなるのを必死に我慢して、手にした母子手帳
表紙はイケてなかったけれど、キラキラ光って見えて
本当に嬉しかった・・・
40歳を過ぎた私が妊娠できるなんて
私のお腹の中には新しい命が宿っているなんて
本当に信じられな~い
と、感傷に浸っていたかったけれど、O医師にしっかり母子手帳を見せて、
転院する旨を伝えなければならな~いとまたまた悪阻がしんどい体に
鞭を打って都内の病院へ
O医師の内診では相変わらず、浮腫が厚いこと、染色体異常の
可能性が高いこと、中絶すべきであることを伝えられる
(ハイハイ・・・)
内診終了後、取得したての母子手帳を取り出して、
(じゃ~ん)
私:「ダウン症児であろうが、他の染色体異常の子供であろうが、
私は産みます!そのために母子手帳も、この通り取りました!!」
O医師:「ダウン症児は病院通いが続くんだぞ!」
私:(「~ぞ!」なんて汚い言葉を使うんだ・・・)
「病院通いをすることで、子供の病気が良くなるのだったら、
喜んで通い続けます!」
O医師:「いいか!将来は肢体不自由児になるんだぞ!」
呆れ返って、二の句が告げなかった私・・・
確かに、ダウン症児は筋肉が弱いため、歩行開始が遅いとは読んだけれど、
「肢体不自由」とは意味合いが違うでしょう・・・
「ダウン症児は長くて20歳までしか生きられない」発言も含めて、
医師が間違った情報や知識を、患者に与えるなんて、
絶対にあってはならないこと
やはり、この医師は信用も信頼もできない
早く転院しなくては~
転院する旨をO医師に伝えたところ、
「勝手にしろ!」みたいな感じになり・・・
「喜んで、勝手にするわ~!!」という感じで、
O医師に決別宣言するのでした
病院の玄関を晴々とした思いで通るとともに、
生まれて来た赤ちゃんに染色体異常が認められなかった場合、
仮にダウン症児であっても、私が出産したことを一度も後悔しない
で1年間を過したら(子供が1歳になった時点で)、O医師に
クレームを付けに来ようと強く決意するのでした
そして実際、昨年6月にO医師に会ってきました。
その内容は、後日、書きますので、お楽しみに~
転院後の記事は、カテゴリー「おひーさまと出会うまで」に
書いていくので、「人生最低最悪の日々」シリーズはこれで
終了となります。
なお、胎児エコーが出生前診断化しつつあることに疑問を呈した
記事「頸部浮腫(NT)=染色体異常?」を姉妹ブログ
「障がい児を産むという選択」に書きました。
併せて読んで頂けましたら幸いです
「今日のラッキー」
ようやく布多天神に初詣に行けた
担当してくれた美容師さんが男前だった
ご訪問ありがとうございます<m(__)m>
ランキングに参加しているので、下のバナー
をクリックして頂けると励みになります♪
↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓
にほんブログ村
にほんブログ村
ひーままさんは真面目だから難しいかもしれないけれど
私もダウン症児のイチハハです。ヒーママさんのように上手に育児できてるかは?ですが、全く何も関係なく我が子は素晴らしくかわいいです。しかし、、、
生まれてすぐはかなり悩み心臓の合併症で酸素チューブの生活が続いた日々は当時は必死で気付きませんでしたが、酸素が外れてやっと安堵したことは鮮明に覚えています。
経済的な心配など色々なこともあり、毎日が大変でしたがようやく少しずつ前向きにすごせはじめています。
皆さんが、お得とは感じがたいでしょうし私もお得とは思えないですが、これはヒーママさんの明るい表現力だと楽しく拝見しています。ダウン症児の母は実際、体力勝負!成長が比較的良かったり頼れる方に預けれたりできない環境だとかなりの重労働です。でも大丈夫、母ならやりきれると信じ楽しくすごしておりますよ。
いつもコメントをありがとうございます<m(__)m>
また、今回は私とブログを慮ってのメッセージに感謝しています。
スルーします!
あまりに次元が違い過ぎるというか・・・
ドMは自虐話は好きだけど、自慢話や手柄話は大嫌いで、
書くはずがないもんでね・・・(笑)
はじめまして!
コメントをありがとうございます<m(__)m>
お子さんは酸素チューブの生活が続いていたのですね・・・
でも、手術をされたのか、取れて本当に良かったですね♪
〝全く何も関係なく我が子は素晴らしくかわいいです。″
→正にその通りです。障がいがあろうと、なかろうと、
一緒に暮らしていると、本当にそう思いますよね?
ただ、私も決して上手に子育てをしているとは思えないのです。
一番の理由は体力!すぐ疲れるし、良く眠るし・・・(>_<)
これって単に老齢育児のためかしら?(笑)
確かに、私の場合、仕事の時などにおひーさまを見くれる両親が
身近にいたり、おひーさまが健康に育っているなどという条件が
あっての「お得感!」なのだと思います。
「育てられない人の所に、ダウン症児は来ない」と聞きます。
はれるやさんも私も、頑張ってきっと立派に子供を育て
上げるのだと思いますよ♪
楽しみですよね~(^^♪
ずっと気になって拝見させて頂いております。
単刀直入に。
私は、O医師の言葉は医師として良くないと思います。
ただ、医師として多くの経験・あるいは文献からの知識があっての意見なのではないでしょうか?
特に、自分自身の経験が大きいと思います。
どの程度の経験を積んだ医師かは分かりませんが・・・。
見方によっては、彼なりの優しさなのかもしれません。
医師という立場上、そんな私的判断は許されないという意見も当然です。
しかしながら、医師も人間ですから。
胎児エコーで何が分かるか、は、一般大衆には詳細に開示されてません。
でも胎児に何か問題があった場合、無条件に開示されるべきだと私は思います。
事前にリスクが分かることによって、必要な設備のある病院に移ることが出来ます。
それによって、どれだけの命が助かるか!
一般的に開示されるべき必要な情報だと私は思います。
はじめまして!
コメントをありがとうございます<m(__)m>
私もyumiさんと同じように、エコーの情報が患者さんに
提供されるのは当然のことだと思っていますよ。
但し、頸部浮腫=染色体異常ではない点、あくまで可能性
であって、身重の妊婦さんに伝える際の配慮が必要という点
を医師側に持って頂きたいと思っています。
娘の十二指腸閉鎖は、妊娠8カ月の時のエコー検査で
見つかったので、生まれてすぐの手術が可能でした。
私は、事前にリスクが分かったというエコー検査の恩恵も
受けている人間です。
このカテゴリーで書いていることは、エコーの情報開示の
善し悪しではなく、O医師の医師としての姿勢に関してです。
彼が染色体異常の可能性を伝え、羊水検査を勧めたのなら、
記事にはしていません。羊水検査をすっ飛ばして、中絶を
執拗に強要した点、ダウン症児は20歳までしか生きられない
などの間違った情報を患者に与えた点について批判しています。
また、このような医師はあまりいないと思いますが、
同じように言われた方に、そんなことないよ!患者として
こんな選択、医師へのアプローチの仕方があるよ!という
スタンスでも記事を書いています。
出産後、O医師にクレームを言いに行った時に、
「貴女のことを思って発言した」(=優しさ?)を繰り返して
いましたが、それは詭弁として聞き流していました。
本当に私のことを思ってくれるのなら、療育センターの情報など
障がい児の具体的な育児方法を指南して頂きたかったのです。
なお、胎児エコー検査のあり方に関して、素人ながら私の意見を
「障がい児を産むという選択」に書いています。来週にはO医師の
件を通して、「産む産まないという女性の権利」に関して記事を書く
予定です。併せてご覧いただけましたら、幸いです<m(__)m>
少し前にブログ村でお見かけしておじゃまして、
それから過去記事も、少し読ませて頂きました。
私が妊娠中に、頸部浮腫の診断を受けたのは、もう7年以上前の話になります。
妊婦検診で、ある日突然、
「お腹の中の赤ちゃん、ダウン症かもしれませんよ」
と言われ、そこは個人病院だったので、県内の大学病院で羊水検査を勧められました。
その時、私は、「ダウン症」がどういうものかすらわからず、とりあえず、言われるがまま、大学病院に話を聞きに行ったのでした。
私に説明をしてくださった大学病院のドクターは、とても丁寧に、親切に、NTについて、数字を沢山並べて、教えて下さいました。
その先生から、「中絶」という言葉は出なかったし、それを勧めるような言い方もされなかったと思うのですが、ただ一言言われたのは、
「もしも、羊水検査を受けるのであれば、決心はしておいてください。」
という言葉でした。
それは、陽性だったら中絶しなさい、とか、そういう意味ではなく、羊水検査を受けて、結果が出てから考えていたら22週には間に合わない、という意味で、つまり、検査をする、という決心をするのであれば、結果がどうでも決めておきなさい、ということなのだと理解しました。
結果から言うと、私は羊水検査を受けなかったんですよ。
それは、もしも、お腹の子に傷害があるとその時わかったとしても、その子を危める気持ちは私にはなかったから。
生きてるものを握りつぶすこと、って考えた時に、道徳的に出来ませんでした。
それが分かっているなら、検査は受けても受けなくても同じだし、
お腹に針を刺す感染症のリスクだけ背負うなら意味ないことだし。
その時生まれた子は、もう7歳になります。
健常児で生まれてきました。
でも、生まれた時、「健常児でよかった」とは思いませんでしたよ。
だって、命はみな平等だし、何が良くて何が良くないかなんて、誰にも決められない。
幸せの尺度を計るモノサシはないもの。
私は、妊娠中に悟ってしまったんです。(笑)
子供を授かる、ということは、その子の運命を全部引き受けることなんだ、って。
だから、その子がどんな子でも、引き受けるんだ。って。
健常児でもいろいろあります。
この先もきっといろいろあって、悩んだり泣いたりすると思います。
時には、母になんてならずに、独身で仕事をしていればよかったかな、と思う事も正直あったり。
でも、すごく子供には育てられてる、って思います。
母になることは、人間としてすごく成長する作業。
ひーままさんはじめ、周囲の人にたくさん愛されてるおひいさまは、とっても幸せですよね。
私はそれだけで十分だと思います。
長いコメント失礼しました。
もしも、ひーままさんが不快に思ったり、不適切な表現と感じたら、遠慮無く削除してくださいね。
はじめまして!
コメントをありがとうございました<m(__)m>。
読んでいて頷き過ぎて、腰痛+首が痛くなりました(笑)
次々回の記事で書く予定だった内容が載っていてビックリ!!
このままパクらせて頂こうかしら?(笑)
ちはるさんの先生が主治医だったら、どんなに良かっただろう!
ととても羨ましくなりました(涙)。
私は、この先生の対応が当然だと思います。
浮腫が厚い→羊水検査という流れなら理解できますが
O医師は羊水検査をすっ飛ばして、「中絶」だったので
こうして批判記事を書いています。
ちはるさんの先生の仰った「決心は・・・」の意図も
当事者として理解できます。
羊水検査のことは、姉妹ブログ「障がい児を産むという選択」で
来週辺りに書く予定ですので、ご覧頂けましたら幸いです。
私もちはるさんと同様、元気に心臓が動いている胎児の命を
「障がいがある」という理不尽な理由だけで、握りつぶす
ことが出来なかったのです。この考え方は夫も同じした。
羊水検査に関しても、破水する率が1/300なので、ダウン症児の
発生率1/1000よりずっと高いこと、感染症などのリスクがあること
も踏まえて、全く受けるつもりはありませんでした。
"子供を授かる、ということは、その子の運命を全部引き受ける
ことなんだ〝というご意見も全く同じです。
私もO医師から執拗に中絶を強要される中で、
「どんな子であっても、産んで私が立派に育てる!」と
腹を括った時から、その子のすべてを受け入れる覚悟が
できました(笑)
娘は2つも合併症を持って生まれてきましたが、
手術で完治して元気にすくすく育っていて、今の所、
苦労することはなく育児を楽しんでいます♪
娘の成長と共に苦労することも出てくるかと思いますが、
それも「楽しめる」ひーままでいたいと思っています。
ちはるさんのコメントを「不快」に感じる所か、
考えがとても似ていて、嬉しくなりました<m(__)m>
ありがとうございました!
お返事を有難うございます。
初めてなのであとから読み返したらかなり堅苦しい文章でしたが、、、
実際は楽しく育児させていただいてます!
毎日寝顔を見ては、幸せだなあって思い、肩や腕はパンパンになっても母はたくましいもの、ニヤケながら一緒に寝ちゃいますもんね。
お気遣い下さり励ましのメッセージ有難うございます。ちょっとだけ我が家の子よりお姉ちゃんのおひーさまの成長を追いかけていきます! お礼まで。。
はじめまして!
もしかしてさんも同様のご経験をされたのですか?
でも、残念ながら、J病院ではありません。
このような医師は世の中に一人だけであって欲しいと
思っていて、「他にもいるの?」と思ったら、
「残念ながら」と書いていたひーままでした(^^ゞ