2015年01月20日
Warm heart & Cool head
20年前の1月17日、阪神淡路大震災が起きましたね。
本当は17日にこの記事を書きたかったのですが・・・
当時、私は花の?28歳
「母」という文字とは、一生無縁と思っていた気楽な?大学院生
朝、寝ぼけ眼で、テレビを付け、高速道路が倒れている映像を観て、
「どこの国?」と、最初に思ったことを思い出します。
そして、「そこが神戸」と知った時、「なんで、神戸で~?」と
叫んだのも覚えています。
そして、唯一一人、神戸に住んでいた友人Iちゃんのことが頭を過り・・・
でも、神戸のどこに住んでいるのか分からず・・・
本棚を慌てて開けて、住所録を取り出し、凄い勢いでめくり・・・
その住所を見ても、被害の大きい場所の傍なのかも分からない・・・
何もかもが分からない中で、気がばかりが焦ったのも思い出します。
そのIちゃんとは、後に連絡が取れ無事が確認できました
何でも、周りの建物が全て壊れた中で、彼女のマンション1棟
だけがほとんど無傷のまま立っていたそうです。
でも、その後は大変な時を過ごしていたのではないかと思います。
あまり当時のことは口にしない彼女が少しだけ語ってくれたことは、
その後の私の生き方にも大きな影響を与えました。
「Warm heartとCool headだよ」
阪神淡路大震災の起きた1995年はボランティア元年
意思を強くもった多くのボランティアが神戸などを訪れました。
彼女も多くの方からサポートしてもらったのだと思いますが、
「炊き出しの時に、ジャガイモの皮一つ剥けないボランティアがいても、
正直、役に立たないし、その人の分の食事も用意しないとならなくなる
から、却って有り難迷惑だったこともあるのよ・・・」
「何かをしたい」という想い(heart)
「これができる」という力量(head)
似て非なる二つの言葉
元来、脳みそ筋肉性のわたくし・・・
常に、「Hot heart & Hot head」だった訳で・・・
以来、「自分がしたい」ことではなく、「自分に何ができるのか?」を
常に考えて行動しているつもりです(←あくまで「つもり」ですが・・・)
そのIちゃんは、震災後に2人のお子さんを出産。
上のお嬢さんは、今年、大学受験とか・・・
私も20年前には、想像すらしていなかった母になっていて・・・
母になってからの震災の捉え方は、そうでなかった時とでは
180度違っています。
NHKの特集番組では、当時1才だった男の子を亡された
女性の20年間を報道していました。
その子が映ったビデオをずっと観ることができなかったこと・・・
守ってあげられなかった自分を責めて責めて責め続けていたこと・・・
どの場面を観ても、自然と涙が流れてくる・・・
20年前には分からなかったことも、母となった今では、
心をえぐられるように理解できます。
「このお母さん、どんなに、どんなに、どんなに辛い
20年を過ごして来られたんだろう・・・」
今朝も、片想いのこう君と、どちらが早く通園バスに乗るか
ドアの前で押し合いへし合いバスマザーが「あや~
」
でも、ニッコニッコで手を振って登園したおひーさま
こうしたいつもと変わりない平凡な日々の中で、
おひーさまと共に、たくさんの幸せを紡いでいられる
ことに心から感謝しなければならないなぁ・・・
阪神淡路大震災から20年目に、改めて強く思いました
「今日の良かった」
毎週火曜日は課外でかきかたのおひーさま。
朝の8時過ぎ~4時半近くまでお留守で、
その間、色々とはかどって良かった!
「おひー、元気で留守が良い♪」
上の文章と矛盾!?

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