一読者さんのコメントに対する三考察

ひーまま (陽満々)

2010年11月20日 23:48

昨日と同様、一読者さんから頂いた貴重なコメントを通して
私の意見を書いていきたいと思います。今日のテーマは
「意見と罵倒の違い」、「論破とは?」、「親だからこそ」です。
なお、⑤、⑥が一読者さんからのコメント、→以降が私の意見です。

⑤他人のことは天誅!
とばかりの平気で罵倒することが正しい親の
あり方なのでしょうか。

一私が定義する「罵倒」とは、人格否定です。
人間の在り方そのものを否定するものです。
書きたくはないけれど・・・
「おまえなんか、生きていても仕方ない存在だ!」
「あまえは最低の人間だ!」
というようなことを大きな声で、酷い場合には公衆の面前で
言われることだと思います。

罵倒=人間の否定
反対意見=行為や考え方の否定
行為や考え方は、直すチャンスはあるけれど、上記のようなことを
言われたら、とても傷ついてしまうし、「どう直せなのよ?」だと思います。

私は主にコメントの中で、私の伝えようとしているが伝わっていない場合、
それに対して、「いえ、いえそうでなくて、こういうことを言っているのですよ!」
ということを書いています。

例えば、障がいのために中絶する人のことを批判などしていないのに、
「批判しきれるのですか?」というようなコメントがありました。
それに対して、「そんなことは書いていないはずですよ!」を書いています。

また、「私は何々に対してこう思う!」ということを根拠と共に書いていて、
理解できない意見、尊重できない意見、私とは反対意見に対して、
「なぜあなたはそう思うのですか?」「その根拠を教えてください」と
書いています。

貴重なコメントを下さる方の意見なので、とても大切にしたいので、
そう訊いているのです。意見を交わし合うことによって、
「あ~、そういう意味だったのね・・・」と思うことが何度かありました。
ブログという間接的な媒体を使っての情報発信だからこそ、
こういうプロセスが大切なのではないかと思います。

なお、私が相手を「罵倒している」と思われる表現がありましたら、
是非、教えてください<m(__)m>
100%ない!とは言い切れないと思います。


⑥執拗に市へのクレームを書いたり、それを
コメントで指摘されればそこでまた論破しようとする
心理状態に私は同情します。

→「論破」という言葉からは、「勝ち負け」を感じます。
何も、ディベートをしているのではないので、あくまで
⑤に書いた趣旨で「意見を交わしている」のです。

このブログを開設した理由の一つに、コメント覧で読者同士が
意見を交わして頂けたらとても嬉しいということがありました。
障がい児のことに係わらず、様々な立場の方が色々な角度から
意見を交わし合うことで、理解が深まったり改善されていくこと
ってあるのではないか!と思います

なので、「横入り」大歓迎です
どんどん、コメント覧で意見交換をして下さい<m(__)m>
「2008年10月下旬 吠えました!」のコメント覧が盛り上がっていたのが
とてもしかったひーままです

また、「意見」が「論破」にとられてしまう構造を、
参加した「自己肯定間を育てるために」という講座を
通して、考えてみたいと思います。
講座の内容は近日中にアップします


そして、「親だからこそ!」(親になったからこそ!)
自分の子供の生きていく環境が生きやすくなっていて欲しい」
という思いから、行政へのクレームも付け、このブログもアップしました

なお、ここで言うのは・・・と思いながら書きますが、
保健師さんへの個人的なクレームを「オーナーへのメッセージ」で
下さる方がいらっしゃるのですが、あくまで「私とK保健師」のことに
関連する内容でお願い致します<m(__)m>



ご訪問ありがとうございます
ランキングに参加しているので、下のバナー
をクリックして頂けると励みになります♪
↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓

にほんブログ村

にほんブログ村

関連記事