たまりば

出産・育児 出産・育児その他 その他

2011年04月09日

支援って何なのだろう?

岩手県大槌町の叔母から電話がかかってきましたicon14
今回の東日本大震災で、大槌町は役場が流されてしまうなど
大きな被害が出た所ですが、叔母の家は高台にあったため
津波自体が来なかったそうです。

叔母達が無事であることは間接的に確認していたのですが、
本人の声を聞いて、本当にホッとするface01やら嬉しいface16やらで・・・
無事が確認されるまでは、実家にかかってくる電話の主の声が
全て叔母の声に聞こえるくらい心配でしたface11

「お祭りのために、たまたまお米を沢山用意してたんだ」
「お米がなくなりかけた時も、ご近所さんが沢山くれたし」
「今はお店屋さんが出来るくらい何でもあるよ」
「電気も通って、お風呂も入ったよ」
「自衛隊が入ってからは何でも早いよ!」
と明るい東北なまりの声が聞けて、本当に本当に嬉しかった・・・icon_maro06

でも、私の声からはかな~り心配オーラが出ていたのか、
「そんなに心配しなくたって、大丈夫だよ~!」
「でも、心配かけてごめんね」って・・・
被災した叔母ちゃんに励まされているひーままface10

そんな叔母の家には、震災直後には家を流された親類達など
8人が身を寄せていたそうで、叔母も少なからずストレスを
抱えていたと思うし、敢えて聞かなかったけれど、地震や津波は
本当に恐ろしかったと思いますicon11

「何か出来ることがあったら・・・」という私の問いに対して、
「今は大丈夫だけど、困ることがあったら、遠慮なく助けてもらうよ」
「ひーままちゃんは、子育てを頑張ってね!」

この言葉が叔母の本心なんだと思いますicon_bikkuri


被災して大変そう!だから私も何か支援をしたい!
でも、支援される側したい側支援の内容は必ずしも
合致しているとは限らないでしょう。
支援の内容も時間の経過の中で変わってくるものでしょう。

叔母の場合は、家を流されて身を寄せていた親類の仮説住宅が
早く出来ることが一番の願いのようです。
(実際は、土地がないようですが・・・)
同じ大槌町でも家に住んでいる人と避難所に暮らす人では
受けたい支援の内容も異なるでしょう。

支援する側は、受ける側の真のニーズを見極めて支援していく
ことが大切なんだと思います。
でないと、両者のギャップから不協和音icon05が出てしまうので・・・icon10

でも、そもそも・・・
支援って何なのだろう?」と考え始めるひーままがいましたface03


今日の有り難いicon06
大槌町の叔母と長電話ができたこと!
元気な声が聞けて本当に嬉しかった!!
叔母とは1ヵ月近く話せなかったので、電話の有難さを感じ・・・
電話や携帯が通じることは当然のことと思っていたけれど、
これって「有ることが難しいこと」なんだな~と思いました。


ご訪問ありがとうございます<m(__)m>
ランキングに参加しているので、下のバナー
をクリックして頂けると励みになります♪
↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓
にほんブログ村 子育てブログ ダウン症児育児へ
にほんブログ村


にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村






  • 同じカテゴリー(徒然なること)の記事画像
    我が子を不憫に思った時
    子を思う親の気持ち
    節分に思う
    同じカテゴリー(徒然なること)の記事
     あれから20年 (2015-03-20 23:55)
     Warm heart & Cool head (2015-01-20 23:55)
     悲しいな・・・ (2014-09-10 23:55)
     至福の時~幸せの感じ方~ (2014-02-07 23:55)
     大晦日となりましたね・・・ (2013-12-31 23:55)
     おひーさまに残せるもの (2013-12-23 23:55)

    Posted by ひーまま (陽満々) at 23:57│Comments(2)徒然なること
    この記事へのコメント
    コメントさせて頂きます。

    叔母さん、元気でよかったですね!

    支援って難しいですよね。
    ありがた迷惑なんて言葉もあるくらいですし。

    私が思うのは、まず自分を守るというか自分のすべきことをする。
    自分を生きる。
    という感じです。

    はっきり言って、私は社会的に余裕があるとはいえる人間ではないですから、他の人の心配をする暇があったら、まず自分のすべきことを成せということになると思うのです。

    もちろん節電なんかは出来る範囲でしています。
    ただ、この節電についてなのですが、節電という大義名分を振りかざせば何でも許されるわけではないということを忘れているのではという光景を見かけます。

    例えば、エスカレーターやエレベーターが止まっている。
    若い人、足の丈夫な人は階段を上る。
    じゃあ、足が悪い人は?お年寄りは?車いすの人は?

    計画停電が行われていた。
    同じところばかり停電する。
    停電しないところがある。
    自宅で生命維持している人はどうすんの?

    みんなで協力するのが一番いいと思う。
    各々がやれる範囲でやればいいと思う。

    じゃないと、支援を受ける側も気持ちよくないと思うんです。
    大切なのは気持ちだと思います。
    いやいや支援してくれる人の1億円と、快く支援してくれる人の1万円だったら、後者の方が嬉しいのではないでしょうか?

    わからないですけど、叔母さんはきっと、ひーままさんの気持ち、嬉しかったと思います。
    それだけで支援になってると思います。
    Posted by STH at 2011年04月10日 19:54
    STHさん。

    いつもコメントをありがとうございます。

    本当に支援って難しいですよね?
    相手のニーズに沿っていないと、
    「ありがた迷惑」になってしまうし・・・

    私も自分が出来る範囲(身の丈)の支援をして
    行くことが大事なのだと思います。
    そうでないと、息の長い支援はできないし、
    何より受ける側が嬉しくないのではないかと
    思います。

    叔母ちゃんに言われたように、私がおひーさまを
    しっかり育てていくことが叔母ちゃんにとって
    一番嬉しいことなのではないかな?と思っています。

    そんなことを考えていたら、「支援をめぐる不協和音」
    という記事を書きたくなったのですが、なかなか時間が
    取れず・・・近いうちにアップするので、是非読んで
    下さいね♪
    Posted by ひーまま at 2011年04月13日 00:54
    ※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
    上の画像に書かれている文字を入力して下さい
     
    <ご注意>
    書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
    削除
    支援って何なのだろう?
      コメント(2)