たまりば

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2010年07月25日

2008年9月下旬 義父の死2

この記事は回顧録です。

良くなるどころか、ますます酷くなっていく悪阻…face11
食べていないので、体重はどんどん落ち、
トイレに行くにも貧血を起こす状態…face10
毎日、毎日、本当に辛くてしんどくて、
「お腹に赤ちゃんがいなかったら、こんな思いをしなくても済むの?」
一度だけほんの一瞬だけ思ったことがあります。

「ばっ、ばかなことicon08考えてんじゃないの~icon09
「お義父さんだって、一生懸命病気と闘ってんのよ~icon08
「悪阻なんて、なんのこれしき~~~icon05
「なんとか、もう一度、お義父さんに会いに行こう!」
「そのためにも食べよう!明日の朝は食べられるかな?」
と自分を戒めながら眠りに…。

朝、早く夫の携帯が鳴って、義父の様態が急変したとのこと…。
慌てて車を出す夫を見送りながら、
「せめてせめて最期は会えますように…」

しかし、最期は家族の誰とも会わずに旅立ってしまいました。
入院してから、義母、義姉、義妹、夫が代わる代わる泊り込んで
義父さんの看病をしていたので、心の準備は出来ていたようです。
また、ほとんど闘病生活も送らず、あまり苦しまずに旅立ったことは
良かったんだよ!と言う人もいました。

でも、ひーままはお義父さんと結局2年くらいしか過していないので、
悔やまれることがたくさんあり過ぎて…face11
76歳での死は若すぎる…。あと10年は生きていてほしかったface11


ひーぱぱとは知り合ってすぐに結婚を決めたので、
結婚の挨拶に行った時に、義母は「どこの馬の骨?」
という表情でひーままのことを見ていて…face08
あまりに急だったので、無理はないけど…icon10
(義母さん、あの時の顔、忘れませんよ~icon_maro07(笑))

一方、義父は仕事から帰ってくるなり、被っていた帽子を取って、
「こいつ(ひーぱぱ)をよろしくお願いします」って深々と頭を下げて…face08
(それは、こちらのセリフですけど…icon10)

結婚してからも義父は、
「ひーままさんは本当によく食べるねぇ~face08
「よく食べる人に悪い人はいない!」
などと、よくひーままに話しかけてくれて…。

少ない期間だったけれど、義父とは温かい思い出icon12がたくさんあります。


でも、でも、今でも少し悔やまれるのは、お骨揚げをできなかったこと。
お通夜と告別式に参列しているだけで、気持ちが悪くなってしまい…。
火葬場でのお別れは、辛さと気持ち悪さicon10とで耐えられないだろう、
お腹に障ってしまうだろうと判断して、セレモニーセンターでのお別れにしました。

お棺の中で安らかに眠る義父…。
「この子を守ってください。天国から見守ってあげて下さい」
と心の中で言って、お腹を触った手で義父の頬をなでましたface11

セレモニーセンターからの出棺…。
心にポッカリと穴が開いた感じで、
一人、ロビーで見送るひーままface11

「違う!違う!もう二人だったね…」
「おじいちゃんがあなたを守ってくれているよ!」
とお腹を擦りながら、ゆっくり歩き出しましたicon31








 




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    Posted by ひーまま (陽満々) at 23:56│Comments(0)おひーさまと出会うまで
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